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1958年生 ウィキペディアから
ハクシヨウとは日本の競走馬である。第28回東京優駿(日本ダービー)のほか、朝日盃3歳ステークスに勝利するなど活躍した。1960年啓衆賞最優秀(旧)3歳牡馬。
旧表記3歳時には6戦6勝の圧倒的強さを見せ、朝日盃3歳ステークスを2着に5馬身差を付けレコードタイムで制したほか、東京3歳ステークスを3馬身、中山3歳ステークスを4馬身差レコード、さらにオープンを7馬身差レコードと活躍した。この成績で1960年最優秀3歳牡馬に選ばれた。
このあと休養に入り、復帰戦は皐月賞になったがシンツバメの11着と大敗し、続くNHK盃も4着とまったくいいところがないまま東京優駿に挑むことになった。しかしその東京優駿では皐月賞優勝馬シンツバメ、NHK盃優勝馬チトセミノルが回避したためふたたび1番人気に支持された。この年の東京優駿には相手が薄いと見た優駿牝馬優勝馬チトセホープも連闘で出走しており、2番人気に推されていた。
最後の直線で先行するチトセホープをかわし勝利は確実かと思われたが、前走で条件戦を勝ち上がったばかりのメジロオーが大外から突っ込んできてハクシヨウに並びかけたところがゴールだった。たいへんに長い写真判定の末ハクシヨウの勝利が確定したが、その差は非常にわずかで、髪の毛1本ともされている。この東京優駿を最後にハクシヨウは引退した。
なお、現在のようなスターティングゲートによるゲート式スタートが導入されて最初の日本ダービー馬である。ただし、本馬以前にゲート式スタートによるレースそのものを経験したことがあるダービー馬は、ゴールデンウエーブ、ダイゴホマレの2頭がいる[1]。
引退後は種牡馬となり、ホワールウインド(アラブ王冠賞)、ハクラン(名古屋・新春グランプリ、東京盃3着など。地方競馬から中央競馬への移籍後ライフウに改名)などの産駒を残した。その後1983年7月に用途変更となっている。
なお、2代目ハクシヨウの血を引く馬は現存しない[2]。
ハクシヨウIIの血統(ボワルセル系 / Swynford 5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 *ヒンドスタン Hindostan 1946 黒鹿毛 |
父の父 Bois Roussel1935 鹿毛 |
Vatout | Prince Chimay | |
Vasthi | ||||
Plucky Liege | Spearmint | |||
Concertina | ||||
父の母 Sonibai1939 鹿毛 |
Solario | Gainsborough | ||
Sun Worship | ||||
Udaipur | Blandford | |||
Uganda | ||||
母 *グレースフルアイヴイ Graceful Ivy 1947 芦毛 |
Khosro 1938 鹿毛 |
Sir Cosmo | The Boss | |
Ayn Hali | ||||
Straight Sequence | Startford | |||
Little Flutter | ||||
母の母 Ivy Grey1941 芦毛 |
Empire Builder | Son-in-Law | ||
Fourfold | ||||
Eleni | Greenback | |||
Epping Rose F-No.10-d |
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