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ニレ(楡)はニレ科ニレ属の樹木の総称である。英名はエルム (Elm) [1]。日本でニレというと、一般にニレ属の1種であるハルニレのことを指す[2]。
広葉樹であり、かつ基本的に落葉樹だが[3]、南方に分布する一部に半常緑樹のものがある。樹高は10メートル (m) 未満のものから大きいと40 mを超すものまである。最大種は中米の熱帯雨林に分布するUlmus mexicanaという種で樹高80 mに達する。樹形は比較的低い高さから幹を分岐させ、同科のケヤキ(ニレ科ケヤキ属)などとよく似る種が多いが、比較的真っ直ぐ幹を伸ばすものもある。樹皮は灰色がかった褐色で縦に割れる種が多いが、一部に平滑なものもある。
枝は真っ直ぐでなく左右にジグザグに伸びる(仮軸分岐)。葉は枝に互生し、葉の基部は左右非対称になることが多い[3]。葉は先端に向かうにつれて急に尖る。オヒョウのように複数の先端を持つものも多い。葉脈の形態は中央の1本の主脈から側脈が左右に分岐する形(羽状脈)である[4]。ニレ科でもエノキ属 (Celtis)、ウラジロエノキ属 (Trema)、ムクノキ属 (Aphananthe)などは主脈が3本に見える三行脈である[4]。ただし、これらは最近はニレ科でなくアサ科に入れることが多い。葉の縁には鋸歯を持つ[3]。ニレ属は二重鋸歯と呼ばれる鋸歯を持ち、大きな鋸歯同士の間に小さい鋸歯を挟む。これに対し、ケヤキ属は普通の鋸歯である。
花は両性花、花粉の散布方式は風媒であり花は地味である。種子は扁平な堅果で膜質の翼を持つ[4]。
斜面下部、谷沿い、川沿いなど湿潤で肥沃な所を好む種が多い。また、陽樹であり日当たりを好む性質で、開けた場所や生け垣で見られる[3]。花は風媒花であり、ほとんどの種類は春に花を咲かせる。種によって芽吹く前に花を付けるもの、芽吹いた後花を付けるものがある。一部の種類は秋に花を付ける。果実は開花後数週間で熟す。種子は風散布、萌芽更新、倒木更新もよく行う。
何種類もの昆虫がニレの色々な部分を餌として利用している。
ニレの立ち枯れ病は別名オランダニレ病とも呼ばれ、もとは東アジアからきた病気であるが、病原菌が最初に特定されたのがオランダだったことに由来する[3]。ニレの立ち枯れ病は、病原菌となる胞子をつけた甲虫キクイムシが樹皮の下に潜り込み、孔道とよばれる孔を掘ることによって広まる[3]。この病気に汚染されると、初夏に広い範囲で葉が黄色くなり、茶色くなってしおれていき、ニレの巨木でも1か月ほどで枯死してしまう[5]。ニレの立ち枯れ病が最初に流行したのは1920年代で、これは程なく収束したが、1970年代に毒性が強い真菌が引き起こした流行は環境災害となり、イギリスだけで2500万本、ヨーロッパと北米では数億本のニレが枯死した[3]。原因は、古代ローマ人がブドウの木を仕立てるために支柱として西ヨーロッパにオウシュウニレ(別名:ヨーロッパニレ)を持ち込み、挿し木や根萌芽から木を増やしていったところ、遺伝的に同一のクローンばかりになって同じ病虫害を受けやすくなったためといわれている[3]。現在ニレの大木が残っている場所は、自然の障壁によって隔離されたイングランド南東部の沿岸や、市民の努力で残ったアムステルダムなど数カ所だけである[5]。こうしたことからアムステルダム市当局では徹底的な監視と衛生管理が行われている[5]。また十数年にわたる地道な交配によって、菌類に耐性がある栽培品種が10種類以上も作り出され、アムステルダムなどで大量に植え付けられている[5]。
ヨーロッパではニレ(楡)とブドウ(葡萄)は良縁の象徴とされる。この風習は元々はイタリア由来とされ、以下のような話がある。古代ローマ時代からイタリアではブドウを仕立てる支柱としてニレを使うために、ブドウ畑でニレも一緒に栽培していた。成長したニレは樹高3m程度のところで幹を切断する。ニレは萌芽を出すのでこれを横方向に仕立ててぶどうの蔓を絡ませてやるのだという。古代ローマの詩人オウィディウス(Ovidius、紀元前43-紀元前26年)はこれを見ていたく感動し、ulmus amat vitem, vitis non deserit ulmum(意訳:楡はブドウを愛している。ブドウも傷ついた楡を見捨てない)という詩を読んだ。
この話はローマ神話の神で恋仲だった季節の神ウェルトゥムヌスと果実の神ポーモーナの話としても好まれ、ルネサンス時代には絵画の題材としてもよく描かれた。
他にも北欧神話(スカンディナヴィア神話)に登場する人類最初の男女アスクとエムブラのうちのエムブラ(女)が最高神オーディンに息を吹きかけられたニレの樹から生まれたとされる[1]。エムブラ(Embla)がニレを表す英語のエルム (Elm) になったといわれ、その語源はケルト語の Ulme からきたといわれる[1]。
ギリシア神話では、詩人で竪琴の名手だったオルペウスが、妻を黄泉の国から連れ戻そうとして失敗し、悲しみに暮れて現世で竪琴を奏でた。すると、その音色に感動した大地がエルム(ニレ)の森を作り上げたという逸話が残る[6]。
北アメリカの東海岸では、マサチューセッツ州のボストンにイギリスから脱出して到着した清教徒たちが村を作ったときに、周辺のインディアンが親切にもエルムを土地条件の指標にすることを教え、その土地は肥沃で耕作にも適し、水も容易に得られ洪水の危険もないことを知り得たという[7]。この有益な情報から、ボストンをはじめ多くの美しい都市が生まれた[7]。
ヨーロッパのその他の地域では、ニレ(エルム)を重要な樹に位置づけている[1]。ニレの樹が大木になることからくる巨木信仰だけでなく、着火しやすいニレから火を得たという例が多いからといわれる[1]。
成長が早く移植が容易、また樹形や鮮やかな新緑が魅力的で爽やかな印象を与えるためか街路樹や庭園樹への利用が多い樹種である。秋の紅葉も見事であり、ヨーロッパなどでは風景画の題材としてもよく描かれ、13 - 17世紀の巨匠の絵画によく描かれた[3]。オランダのハーグとアムステルダムでは世界一のニレが見られ、アムステルダムでは運河や街路沿いに7万5000本以上のニレが植えられている[3]。日本では北海道大学構内のニレ並木が有名。盆栽にもなる。
心材と辺材の境は明瞭、やや硬い。比重は0.6程度。空気に触れなければ腐りにくいといい、ヨーロッパでは水道管に用いた[3]。またイチイの代用として弓にも使ったという。和太鼓の胴材にはケヤキが最高とされるが、ニレが代用されることもあるという。
飢饉時などに種子などを食用とする場合がある。延喜式では特に香気のない本種の樹皮の粉を使った楡木(ニレギ)という名の漬物が記録されている[9]。アメリカ産のU. rubraという種の内樹皮は胃や喉の炎症を鎮める効果があり、FDAに認可された数少ない生薬の一つとなっている[10]。小枝や葉は家畜の飼料としても使え、ヒマラヤ地域などでは今も使うという。
ニレ属(Ulmus)は北半球の温帯に約20種があり、アジア、北アメリカ、ヨーロッパにかなり近い種が分布する[11]。特にアメリカニレとヨーロッパニレは性質や形状がよく似ている[11]。ヨーロッパのニレはどの種も互いによく似ており、樹高が30 mに達することも珍しくない[3]。 ニレは身近にある木で関心が高く、それでいて地域差も激しいのか、研究者によって相当の相違がある。学名の異名であるシノニムも数多く、ずらっと10個以上並ぶ種もある。日本にはハルニレ、アキニレ、オヒョウの3種が分布する。
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