トップQs
タイムライン
チャット
視点

トム・ケリー (内野手)

アメリカの野球選手、監督 (1950 - ) ウィキペディアから

トム・ケリー (内野手)
Remove ads

ジェイ・トーマス・ケリーJay Thomas Kelly , 1950年8月15日 - )は、アメリカ合衆国ミネソタ州ビッグストーン郡グレースビル英語版出身の元プロ野球選手一塁手外野手)、監督。左投左打。愛称はTK[1]

概要 基本情報, 国籍 ...
Remove ads

経歴

1968年MLBドラフト8巡目(全体178位)でシアトル・パイロッツから指名され、プロ入り。1980年までの13年間の現役時代でのメジャー経験は1975年ミネソタ・ツインズでの1年だけであり、大部分をマイナーで過ごしている。なお現役時代の本職は外野手であったが、メジャーでは一塁手での出場が最も多かった。

1977年、ツインズ傘下のAAA級タコマ・ツインズで選手兼任の監督となった。この時27歳の若さであった。「君はリーダーの素質がある。きっといい監督になれる」と勧められて転向したが、1979年からは3年連続でパシフィックコーストリーグの最優秀監督賞を受賞した。同時期にシカゴ・ホワイトソックスで監督を務めていたトニー・ラルーサは「彼は知名度はないが、将来は大リーグをリードする存在になる」と断言していた[要出典]

1983年にはツインズの三塁コーチに抜擢され、1986年9月12日には解任されたレイ・ミラー英語版の後を受けて監督に就任した。この年の最終戦[2]終了後、スタンドのファンに向かって「今年は残念な結果に終わりましたが、来年ここ(当時本拠地のメトロドーム)にワールドシリーズを持ってきます」と宣言し、翌1987年アメリカンリーグ優勝を果たして本当にワールドシリーズを戦うことになった。そのワールドシリーズではセントルイス・カージナルスを破って世界一にも輝いた[1]

1991年にはアトランタ・ブレーブスとの史上初の”前年最下位同士”となったワールドシリーズを制し、2度目のシリーズ優勝を経験した[3]

1992年には日米野球でMLB選抜の監督を務めている。その後はチームの緊縮財政もあって今ひとつのシーズンが続くが、その間にトリー・ハンタージャック・ジョーンズクリスチャン・グーズマンコーリー・コスキーダグ・ミントケイビッチラトロイ・ホーキンスエリック・ミルトンらの2000年代前半のツインズを支える面々が育ち、最終年の2001年には9年ぶりのシーズン勝ち越し(85勝77敗で2位)を記録した。

Thumb
ケリーの背番号「10」。
ミネソタ・ツインズの永久欠番2012年指定。

2012年1月26日、古巣ツインズはケリー在籍時の背番号『10』を永久欠番に指定したい旨を示した[4]。この年の9月8日にケリーを本拠地ターゲット・フィールドに招いてセレモニーが催され、正式に永久欠番に指定された[5]

Remove ads

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

表彰

背番号

  • 16(1975年)
  • 41(1983年 - 1986年)
  • 10(1987年 - 2001年)

脚注

関連項目

Loading content...

外部リンク

Loading content...
Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads