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デヤン・スタンコビッチ
セルビアのサッカー選手 ウィキペディアから
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デヤン・スタンコヴィッチ(セルビア語: Дејан Станковић, ラテン文字転写: Dejan Stanković、1978年9月11日 - )は、セルビア(旧ユーゴスラビア)の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。フェレンツヴァーロシュTC監督。
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クラブ経歴
- レッドスター・ベオグラード
1992年にレッドスター・ベオグラードのユースに入団。1995年2月11日のOFKベオグラード戦で当時のクラブ史上最年少デビューを果たし[1]、1997年5月17日のFKブドゥチノスト・ポドゴリツァ戦では18歳6ヶ月6日で当時のクラブ史上最年少ハットトリックを達成(2023年12月16日のFKスパルタク・スボティツァ戦でヨヴァン・ミヤトヴィッチが18歳5ヶ月5日に更新[2])、1997-98シーズンには19歳にしてキャプテンを任された。
- ラツィオ
1998年夏、セリエA・SSラツィオへ移籍。同年9月13日のピアチェンツァ戦でセリエA初ゴールを記録。中盤の一角としてロベルト・マンチーニ、パベル・ネドベド、フアン・セバスティアン・ベロンらとプレーし、2年目の1999-2000シーズンにはセリエA優勝を経験。ラツィオでは在籍5シーズン半でリーグ戦137試合に出場し、22ゴールを挙げた。
- インテル
2004年1月、インテルへ移籍。移籍金400万ユーロに加えゴラン・パンデフがトレード要員となった。翌2004-05シーズンにはラツィオ時代の同僚のマンチーニが監督に就任。再建を図るチームの一員としてコッパ・イタリアを皮切りにタイトル獲得に貢献し、スクデット6連覇を達成。2009-10シーズンはジョゼ・モウリーニョ監督の下で主要タイトル3冠(チャンピオンズ・リーグ、セリエA、コッパ・イタリアでの優勝)を経験した。 2013年7月6日、インテル退団が決定。
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代表経歴
1998年、ユーゴスラビア代表に招集され、4月22日の韓国戦で初出場。この試合で2得点を挙げた。2ヵ月後のフランスW杯のメンバーにも選出され、ベスト16入りを経験した。
国際情勢の変化により2006 FIFAワールドカップ・予選からセルビア・モンテネグロ代表の一員となる。2006 FIFAワールドカップでは背番号10を背負ったが、グループステージ敗退。
2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選からはセルビア代表となり、キャプテンを任された。予選を突破し、ユーゴスラビア、セルビア・モンテネグロ、セルビア代表と3国の代表としてワールドカップに出場した初めての選手となるも、本大会ではまたしてもグループステージ最下位に終わった。
引退後
2014年7月4日、インテル時代に師事したアンドレア・ストラマッチョーニが監督に就任したウディネーゼ・カルチョのアシスタントコーチに就任した[5]。
2019年12月19日、レッドスター・ベオグラードの監督に2年半の契約で就任[6]。このシーズンは優勝を果たし、スタンコビッチは監督として初のタイトルを獲得した[7][8]。
2020-21シーズンは、38試合中無敗のまま35試合で勝利し、リーグ新記録の114得点を記録し優勝した[9]。
エピソード
- 息子のフィリプとアレクサンダルもプロサッカー選手で、父親の古巣であるインテルの下部組織で育ち、2023年現在インテルに所属している。フィリプのポジションはゴールキーパー、アレクサンダルのポジションはミッドフィールダー。
- 2009年10月17日のジェノアCFC戦で相手キーパーのマルコ・アメリアのミスキックを見逃さず、センターライン付近(ゴールより約54mの位置)からダイレクトでゴールに蹴りこんだ[13]。試合後にこのゴールを振り返って「10年から15年後になっても、子供たちに聞かせられるゴールだ」と語った[14]。
- 2011年4月6日のUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント準々決勝1stレグのシャルケ04戦において、相手キーパーのマヌエル・ノイアーがヘディングでクリアしたボールをセンターライン付近から蹴り返し、ダイレクトボレーシュートを決めた。前半キックオフからわずか25秒後のことであった[15]。
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個人成績

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代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 36試合 8得点(ユーゴスラビア、1998年-2002年)[16]
- 国際Aマッチ 25試合 3得点(セルビア・モンテネグロ、2002年-2006年)[16]
- 国際Aマッチ 42試合 3得点(セルビア、2006年-2013年)[16]
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監督成績
- 2022年10月20日現在
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タイトル
選手時代
- レッドスター・ベオグラード
- SRユーゴスラビア・ファーストリーガ:1回(1994-95)
- SRユーゴスラビアカップ:3回(1994-95、1995-96、1996-97)
- SSラツィオ
- セリエA:1回(1999-2000)
- コッパ・イタリア:2回(1999-2000、2003-2004)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:2回(1998、2000)
- UEFAカップウィナーズカップ:1回(1998-99)
- UEFAスーパーカップ:1回(1999)
- インテルナツィオナーレ・ミラノ
- セリエA:5回(2005-06、2006-07、2007-08、2008-09、2009-10)
- コッパ・イタリア:4回(2004-05、2005-06、2009-10、2010-11)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:4回(2005、2006、2008、2010)
- UEFAチャンピオンズリーグ:1回(2009-10)
- FIFAクラブワールドカップ:1回(2010)
- 個人
- ESM欧州年間ベストイレブン:1回(2006-07)
- セルビア年間最優秀選手賞:2回(2006、2010)
- インテル・ミラノ殿堂(2019)
指導者時代
- レッドスター・ベオグラード
- セルビア・スーペルリーガ:3回(2019-20、2020-21、2021-22)
- セルビア・カップ:2回(2020-21、2021-22)
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脚注
外部リンク
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