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イタリアのサッカー選手 ウィキペディアから
マルコ・アメリア(Marco Amelia, 1982年4月2日 - )は、イタリア・ラツィオ州フラスカーティ出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。苗字は「アメーリア」とも表記される。
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名前 | |||||||||||
ラテン文字 | Marco Amelia | ||||||||||
基本情報 | |||||||||||
国籍 | イタリア | ||||||||||
生年月日 | 1982年4月2日(42歳) | ||||||||||
出身地 | フラスカーティ | ||||||||||
身長 | 190cm | ||||||||||
体重 | 90kg | ||||||||||
選手情報 | |||||||||||
ポジション | GK | ||||||||||
利き足 | 右足 | ||||||||||
クラブ1 | |||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | ||||||||
2000-2001 | ローマ | ||||||||||
2001-2008 | リヴォルノ | 167 | (1) | ||||||||
2003-2004 | → レッチェ (loan) | 13 | (0) | ||||||||
2004 | → パルマ (loan) | 0 | (0) | ||||||||
2008-2009 | パレルモ | 34 | (0) | ||||||||
2009-2011 | ジェノア | 30 | (0) | ||||||||
2010-2014 | ミラン | 29 | (0) | ||||||||
2014 | ロッカ・プリオーラ | 1 | (0) | ||||||||
2015 | ペルージャ | 1 | (0) | ||||||||
2015 | A.S. Lupa Castelli Romani | 2 | (0) | ||||||||
2015-2016 | チェルシー | 0 | (0) | ||||||||
2017 | ヴィチェンツァ | 4 | (0) | ||||||||
代表歴2 | |||||||||||
1998 | イタリア U-15 | 12 | (0) | ||||||||
1998-1999 | イタリア U-16 | 5 | (0) | ||||||||
2000-2001 | イタリア U-18 | 3 | (0) | ||||||||
2002-2004 | イタリア U-21 | 19 | (0) | ||||||||
2005-2009 | イタリア | 9 | (0) | ||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。2017年9月25日現在。 2. 2016年1月10日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ASローマのユース出身。2000年にトップ昇格を果たすがフランチェスコ・アントニオーリの前に出番はなく、2001年にASリヴォルノ・カルチョにレンタル移籍。この年は1試合しか出場できなかったものの、シーズン終了後に完全移籍した。2002-03シーズンはレギュラーを掴み35試合に出場した。その後USレッチェ、パルマFCへのレンタル移籍を経て、2004年にリヴォルノ復帰。復帰後は正GKに定着し、ビッグクラブからも注目を集めるようになる。
2008年6月5日、リヴォルノのセリエB降格に伴い、パレルモへ移籍。パレルモでも正GKとして活躍した。2009年8月5日、ルビーニョとのトレードでジェノアCFCへ移籍した。ジェノアでも引き続き正GKを務めた。
2010年6月23日、ジーダが退団したACミランにレンタル移籍した。ジーダがつけていた背番号1番を与えられ、当初はレギュラー候補と目されていたが、クリスティアン・アッビアーティが予想以上の好パフォーマンスを披露したためローマ時代以来となる控えに甘んじた。ミランは7季ぶりにスクデットを獲得したものの、出場は4試合にとどまり試合でも失点を重ね低調な出来に終始した。
2011年6月14日、ミランへ完全移籍。
2013-14シーズン終了後にミランを退団。2014年10月、イタリア6部のロッカ・プリオーラへ選手兼役員として加入[1]。
2015年10月、正GKのティボ・クルトゥワが負傷したチェルシーFCに加入。
2017年2月27日、セリエBのヴィチェンツァ・カルチョに6か月の契約で加入した。
イタリア代表としては、U-15代表から各世代で選出されている。U-21代表を経て、2005年11月16日に行われた親善試合のコートジボワール戦でフル代表デビューした。ワールドカップ・ドイツ大会では出場機会こそなかったものの、優勝メンバーの1人となった。
その後、EURO2008では予選から本大会に至るまでジャンルイジ・ブッフォンに次ぐ第2GKを務めた。しかしFIFAコンフェデレーションズカップ2009以降は代表から遠ざかるようになり、2010年の南アフリカW杯のメンバーに落選。それ以降はサルヴァトーレ・シリグ等の台頭もあってさらに厳しい立場となっている。
判断力と反射神経は目を見張るものがあるが、ディフェンダーとの連携やポジショニングセンスに課題は残る。また精神面の弱さを露呈する影響もあり、FIFAコンフェデレーションズカップ2009以降は代表から遠ざかる結果となっている[要出典]。
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