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ディーボン・ヒューズ(Devon Hughes、1972年8月1日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ニューヨーク州ブルックリン出身のアフリカ系アメリカ人[1]。
ECWおよびWWEで名乗ったリングネーム、ディーボン・ダッドリー(D-Von Dudley)として知られる。TNAではブラザー・ディーボン(Brother Devon)、またはディーボン(Devon)のリングネームで活動。
1991年、ジョニー・ロッズの指導のもとプロレスデビュー。デビュー時のリングネームはAトレインであった。
1996年にECWへ加入。ジョニー・ロッズのジムの兄弟子でもあるババ・レイ・ダッドリーが主宰するレスリングスクールでトレーニングを受け、同年4月13日にギミック上の異母兄弟チーム、ダッドリー・ボーイズの8男、ディーボン・ダッドリーとして登場した。『兄』であり師でもある5男のババ・レイと共に行動するようになり、チーム3Dを結成した。ハードコアマッチ、特にテーブルマッチを得意とし、ババ・レイ共々テーブル破壊が代名詞となっていった。
1999年に『兄』のババ・レイと共にWWF(現:WWE)へ移籍。当初はヒールであったが、人気の高まりと共にベビーフェイスとなっていった。2001年のWCW/ECW連合軍(アライアンス)結成時は、元ECWということもありアライアンスに参加した。
2002年のWWFのテレビ番組分割時は、ババレイはRAW、ディーボンはスマックダウンへと別れることとなった。兄弟が別れると共に、ディーボンはハードコアマッチを得意とするキャラから宣教師へとギミックチェンジを実施し、用心棒役のバティスタと共に行動した。しかしながらこのギミックは長期間続かずに終了し(バティスタを強力に売り出すためにストーリーが終了したとされる)、またディーボンもギミックを戻してRAWに移籍してタッグは再結成されている。WWE時代に兄弟が別れていたのはこの期間のみである。
2005年7月5日にWWEから解雇された。この際、ダッドリー関連の名称は登録商標の関係で一切使えなくなり、以降現在のリングネームであるブラザー・ディーボン、またはディーボンとして活動することとなった。
WWE解雇後はTNAに所属。また全日本プロレスにも参戦して世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝している。2006年にはハッスルへ参戦するなど、日本での登場機会が増えた。
2009年1月4日、レッスルキングダムIII IN 東京ドームでブラザー・レイとともに真壁刀義&矢野通からIWGPタッグ王座を奪取。2月15日、New Japan ISM両国国技館大会で真壁&矢野の挑戦を受けハードコアマッチを制し初防衛に成功した。
同年3月にはTNAオーランド大会でビアマネー・インクからTNA世界タッグ王座を奪取した。
2012年3月18日にロビー・EからTNA TV王座を獲得した。
2012年9月よりエイシズ・アンド・エイツというヒールユニットを結成した。
2015年8月、ババ・レイと共にダッドリー・ボーイズとして復帰。しかし2016年8月22日、RAWにてスピーチを行い退団を発表した[2]。 10月、二人でHOG(House of Glory)に参戦するも、12月に引退を表明、ババとのチームも解散した[3]。 現在はWWEのエージェントとして活動している。
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