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チーフ・ベンダー

アメリカ合衆国の野球選手 (1884-1954) ウィキペディアから

チーフ・ベンダー
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チャールズ・アルバート・"チーフ"・ベンダー(Charles Albert "Chief" Bender、1884年[1]5月5日 - 1954年5月22日)は、アメリカ合衆国ミネソタ州クロウ・ウイング郡ブレーナード出身のプロ野球選手投手)。右投げ右打ち。

概要 基本情報, 国籍 ...

球種の一つであるスライダーを開発した投手と言われている。

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経歴

ニックネームの"Chief"(酋長)は、彼がアメリカ・インディアンオジブワ族出身であることからつけられたもの。彼は現役生活の中で、インディアンに対する差別を受け続けた。ペンシルベニア州カーライル・インディアン工業学校を卒業したベンダーは、1902年にフィラデルフィア・アスレチックスに入団、翌年1903年にメジャーリーグにデビューする。1年目から36試合に登板、17勝14敗の成績を上げたが、一方で25もの与死球(リーグ最多)を記録している。デビューから3年目の1905年にはワールドシリーズに初めて出場、2試合を投げて2試合とも完投し、1試合を完封する好投を見せた。 1914年までアスレチックスに在籍し、うち1908年から1910年は3年連続で防御率1点台という安定した成績を残す。特に1910年から1914年にかけて高い勝率を挙げ続け、この間チームも5年間で4度のワールドシリーズ出場を果たしている。ベンダーは当時通常のカーブのほかに、「ニッケルカーブ」と呼ばれる、後のスライダーに相当する変化球を投げていたとされている。

1915年に創設されたフェデラル・リーグに移るも、所属したボルチモア・テラピンズが振るわず(47勝107敗)、自身も4勝16敗と大きく負け越してしまった。翌年フェデラル・リーグ解散を受け、フィリーズに移籍。1917年には8勝2敗、防御率1.67と健在ぶりを示した。1918年、第一次世界大戦の間ベンダーは野球を離れ造船所に勤める。後年、ホワイトソックスのコーチとして現場に復帰し、1925年に1試合だけ試合で投げている。その後はマイナーリーグのニューヘブン、ジョーンズタウン等の監督なども務めていた。

1953年にベテランズ委員会がアメリカ野球殿堂入り選手に選出。翌1954年に癌のためフィラデルフィアで死去。

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詳細情報

年度別投手成績

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  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す

タイトル 

記録

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脚注

関連項目

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外部リンク

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