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ドミニカ共和国の野球選手 (1987-) ウィキペディアから
ダニーロ・デ・ヘスス・アラウホ(Danilo de Jesus Araujo, 1987年2月11日[1] - )は、ドミニカ共和国出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在はフリーエージェント。NPBでは育成選手であった。
セントルイス・カージナルスに所属していたが、マイナーのA級が最高でメジャー昇格することなく戦力外となり、その後カープアカデミーを経て2013年に広島東洋カープに練習生として入団[2]。
2014年3月24日から日本を活動拠点とする独立リーグ・四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスへ派遣される[3]。当初は前期シーズンのみの予定だったが[4]、シーズン終了まで派遣期間が延長された。派遣された高知では当初は先発で起用され、途中から抑えに転向すると[5]、守護神として活躍し、3勝3敗12セーブ、防御率2.06の成績を残す。シーズン終了後、広島東洋カープの秋季キャンプに練習生として参加し[6]、監督の緒方孝市からも高評価を受けた[7]。
2015年1月26日、広島が育成選手として契約を発表[8]。背番号は144で、登録名はデ ヘスス[9]。2月1日からの春季キャンプでは育成選手でありながら一軍スタートとなり[10]、その春季キャンプでも高評価を受け、支配下契約が報道されていた[11]。オープン戦ではチーム最多となる6試合に登板したが、6回2/3を6失点(自責点5)、4四球と安定感に欠けたことに加え、広島ではすでに6人の外国人(ジョンソン、ザガースキー、ヒース、グスマン、エルドレッド、ロサリオ)が支配下契約を結んでいたことから、デヘススの支配下契約は見送られた[12]。シーズン終了後の10月26日、広島は来期の契約を結ばないと通告した[13]。11月には第1回WBSCプレミア12にドミニカ共和国代表として出場[14]。オフはドミニカ共和国のウィンターリーグでプレー。
2016年はメキシカンリーグのシウダーデルカルメン・ドルフィンズと契約するが、3試合2回2/3の登板で0勝2敗4失点を喫し、4月8日に解雇となった。
Max156km/hのストレートは球威があり、2014年の秋季キャンプではバットを2本へし折った[15]。そのほかスライダーとフォークのように落ちるチェンジアップを持っている[16]。
2015年の春季キャンプで行われた3.2Km走では中田廉に次いで2位だった[17]。
2013年と2014年に広島のキャンプに参加した際、前田健太の存在を知り、「日本で成功してマエケンのような投手になって、ドミニカにいる家族を日本に呼び寄せたい」と思ったという[5]。日本へはドミニカに子息(2014年当時3歳)を残しての渡航であった[5]。
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