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スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ

スリランカの首都 ウィキペディアから

スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ
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スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテシンハラ語: ශ්‍රී ජයවර්ධනපුර කෝට්ටේタミル語: ஸ்ரீ ஜயவர்த்தனபுரம் கோட்டே英語: Sri Jayawardenepura Kotte)は、スリランカ首都。同国西部に位置する。名称が長いため、通常はコッテまたはコーッテ[3] (Kotte) と略される。

概要 スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ ශ්‍රී ජයවර්ධනපුර කෝට්ටේஸ்ரீ ஜயவர்த்தனபுரம் கோட்டேSri Jayawardenepura Kotte, 位置 ...
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現在の都市名は遷都を決めたスリランカの第2代大統領ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナに由来しており、「スリ(聖なる)・ジャヤワルダナ(勝利をもたらす)・プラ(都市)・コッテ(元々の街の名前)」の意味となる。

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概要

同国西部に位置する旧首都コロンボの中心部から南東に約10kmの地点に位置している。1985年コロンボから遷都されたが、国会議事堂など一部を除き、長らく首都機能の移転は進んでいなかった。2009年内戦終結後は徐々に移転が進められている。

市街地はコロンボから連坦しており、事実上コロンボ郊外の一角を市域とする都市である。

歴史

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コーッテ王国時代の地理(1557年-1565年

1415年コーッテ王国の都となった。この頃は「ジャヤワルダナ」(勝利をもたらす、の意)と称されており、Diyawanna OyaとKolonnawa Oyaの2本の河川が合流し沼地に囲まれ防衛に適したこの地に、王宮要塞が建設された(現在のEthul Kotteの地域)。1565年、内紛により誕生したシーターワカ王国の度重なる攻撃により都市は放棄され、王はポルトガルが守るコロンボに逃れた。

16世紀後半以降は、ポルトガル、オランダイギリスの植民地支配を受ける。植民地時代は「コッテ」と称されていた。1977年、コロンボから首都機能をコッテへ移転する計画が示され、1983年に国会議事堂が完成した。当時のジャヤワルダナ大統領が、かつての都の名称と自分の名前が同じだったため、旧名を復活させた。そのため、街の正式名称が「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」(聖なる・勝利をもたらす都市・コッテ)とされた。1985年、コロンボからの遷都が正式に発表された。なお、国会議事堂は、人造湖 (Diyawanna Lake) の中央に位置する島に立地している。

国会議事堂など一部を除き、長らく首都機能の移転が進まない状態が続いてきたが、内戦終結後の2012年には8省庁が入る複合庁舎が完成するなど、徐々に移転が進んできている[4][5][6]

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地理

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コロンボ周辺の衛星画像。中央右下の大きな湖の西岸がスリジャヤワルダナプラコッテ

スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテはスリランカ南西部の西部州コロンボ県に属しており、州の南北中央西部、県の西部に位置している。北西で旧首都にしてスリランカ最大の都市コロンボと接しており、コロンボ都市圏の一地域を形成する。市の東端にはDiyawanna Lakeという大きな人造湖があり[1]、湖中央の島には国会議事堂が存在している。南西でデヒワラ・マウントラビニアと、湖を挟んで東ではカドゥウェラと接する[7]

地区

スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテは、主に以下の地区から構成される。北部のラージャギリヤ地区には市議会 (Municipal Council) が立地しており、国会議事堂に向かう幹線道路も同地区を通過している。南部のヌゲーゴダ地区にはケラニバレィーラインの主要な鉄道駅とスリジャヤワルダナプラ大学が存在する。

  • Ethul Kotte
  • ナーワラ
  • ヌゲーゴダ
  • ピタコッテ
  • ラージャギリヤ

気候

スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテはケッペンの気候区分では熱帯雨林気候に属す。気温は年間を通して小さな変化があるだけである。湿度は高めだが、2月は例年最も乾燥した月となる。しかしそれでも降水量は63mmもあり、年間を通じて平均降水量が60mmを下回る月はない。

さらに見る スリジャヤワルダナプラコッテの気候, 月 ...

人口動態

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ヌゲーゴダ地区

スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテには、複数の民族・宗教が混住している。最も多いのはスリランカの主要民族であるシンハラ人で、その他にタミル人ムスリムマレー人バーガー人といった人々が居住している。ムスリムとタミルの大半はラージャギリヤ地区に居住する。その他、中国人やマレー人、それにインドを起源とする人々の小さなコミュニティが存在する。2001年国勢調査で示された民族・宗教構成を以下に示す。なお、2014年時点での人口は約12万8千人[2]

民族

さらに見る シンハラ, スリランカ・タミル ...

宗教

さらに見る 仏教, カトリック ...
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その他

  • スリ・ジャヤワルダナプラ総合病院は、1983年日本の無償協力プロジェクトによって建てられた病院である。約1000床のベッドを有しており、建設当時スリランカ最大規模の総合病院となった[10]
  • 人造湖の周囲を巡る道路に、Sri Lanka Nippon Mawatha(スリランカ日本通り)という名称が付けられている。
  • 世界で最も長い首都名だと思われがちだが、現地語での正式名称ではバンコクの方が長い。

施設

出典

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外部リンク

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