Loading AI tools
ウィキペディアから
インドやセイロンを植民地にしていたイギリス(大英帝国)が、1858年に島内におけるコーヒー・紅茶などの農産物輸送を目的に敷設を開始したのが創始である[4]。
その後、山岳地帯や海岸地帯への路線も建設され、2016年現在の総延長は1,561kmとなっている[5]。内戦中はいくつかの路線が運休になっていたが、2019年現在では全線が復旧している。かつては軌間762 mm(狭軌)の軽便鉄道規格線も存在したが、現在は1676 mmの広軌線に統一されている。運営は運輸省の直轄である。
電化区間は存在しないが、複線化区間は主要路線を中心にいくつか存在する。蒸気機関車が全廃された後は、ドイツ・日本・アメリカ・イギリス・ハンガリーなど諸国から輸入されたディーゼル機関車が使用されている。輸送は自動車に押されがちであるが、キャンディ~コロンボ間121kmを2時間半で結ぶ「Intercity Express」(都市間列車)などの速達列車を運行して対抗しており、2016年現在の国内旅客輸送における鉄道の比率は6.0%で毎日約372,000人を輸送している[5]。
なお、食堂車(ビュッフェ)、寝台車が存在する。また、外国人旅行者が多い地域へ向かう列車には展望車も連結されている。朝夕はコロンボ付近では通勤客輸送で大混雑する。
2019年3月8日、国際女性デーに合わせて女性専用車両の導入が発表された[6]。
スリランカにおける鉄道の建設は、1858年8月3日にプランテーションからの輸送を目的としてセイロン総督ヘンリー・ジョージ・ウォード卿の意向によりコロンボ〜キャンディ間(メインライン)から始まった。1864年12月27日にはブラバント公から譲渡された機関車がコロンボ・ターミナス駅 - アンベプッサ駅間を一往復した。これが、スリランカで最初の鉄道走行である[7]。
スリランカの鉄道は1865年10月2日に、コロンボ・ターミナス駅 - アンベプッサ駅間で正式開業した。1867年4月26日にはキャンディ駅までが開業し、その後メインラインは1874年ナワラピティヤ、1885年ナヌオヤ、1894年バンダラウェラ、1924年バドゥッラと順調に距離を伸ばしていった[8]。支線のマータレーラインの建設は1877年6月28日に開始され、1880年10月4日に開業した。
その後、南西部のココナッツ畑の発展に伴い1885年にコーストラインが開業し、さらにノーザンラインが古都アヌラーダプラ、カンカサントゥレイを経由して1905年に開業した。その後、1914年にインドとの物資輸送のためにタライマンナールまでマンナールラインが建設され[4]、1919年にはケラニバレィライン、1926年にプッタラムライン、1928年にバッティカロアラインとトリンコマリーラインが開業した。
元々は全線単線で建設されていたが、メインラインのランブッカ駅までが1926年10月に、コーストラインのパナドゥラ橋までが1933年9月に複線化された。
コロンボ内戦中は特に北部、東部の鉄道網が寸断されていたが、終結後は復旧工事と高速化工事が同時並行で進められている。
2019年現在、中国系の銀行融資によってコーストラインの延伸工事が行われており、2019年1月6日にはマータラ駅 - ベリアッタ駅間が最高速度120km/hで開業した[9]。
2018年3月11日に日本の国際協力機構 (JICA) の支援でコロンボ市内にライトレール建設のための円借款貸付契約が調印された[10]。この事業ではコロンボ中心から郊外のマラベまでの16kmにライトレールを建設して16駅を設置する計画で、2025年の開業を目指していた[11]。2019年3月にはJICAとスリランカ政府の間で第1期事業分約300億円の円借款契約を結び7月には起工式も行われていたが、翌年9月にラージャパクサ大統領から事業撤回が指示された[12]。
車内販売も行われており、くだものや菓子、飲料などが売られている[13]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.