ジャカルタ日本人学校
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ジャカルタ日本人学校(英語:Jakarta Japanese School)はインドネシアの首都ジャカルタの郊外にある[注 1]、在インドネシア日本人のための初等、中等(中学校)教育を行う日本人学校。そのため、日本国の文部科学省の管轄下である。略称はJJS。校歌は、中村保が作詞し、松田敏江が作曲を手掛けた「椰子の葉陰に」
沿革
- 1968年 日本語補習学校開校
- 1969年 TEBET UTARAにて日本国大使館付属ジャカルタ日本人学校として開校(在籍児童11名)
- 1970年 文集「みなみ十字」第1号完成
- 1970年 第1回卒業式(小学部男子1名、女子1名)
- 1970年 中学部併設
- 1971年 幼稚部入園式
- 1972年 小中学部がPASAR MINGGUの新校舎へ移転
- 1975年 校歌・校章の制定、幼稚部がPASAR MINGGUへ移転
- 1978年 新校舎へ移転
- 1979年 インドネシア共和国における国際学校として認可
- 1996年 小中学部がBINTARO JAYAの新校舎へ移転
- 1997年 文部省より3年間の「国際教育・文化交流推進校」の指定
- 2000年 文部省より海外子女教育研究「特殊教育の推進」の指定
- 2003年 文部科学省より3年間「国際教育・文化交流推進校」の指定
- 2006年 幼稚部がBINTARO JAYAの新校舎に移転
著名な出身者・関係者
脚注
参考文献
外部リンク
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