Loading AI tools
サザンオールスターズの野外ライブコンサート ウィキペディアから
『サザンオールスターズ 茅ヶ崎ライブ』(サザンオールスターズ ちがさきライブ)は、サザンオールスターズが2000年8月19日と8月20日に、茅ヶ崎公園野球場で開催した野外ライブ[4][5][3]。
1999年のサザンの年越しライブ『晴れ着 DE ポン』にて桑田佳祐が「来年の目標」として、地元茅ヶ崎市でのライブの開催を熱望する発言をした。これまで茅ヶ崎で大規模なライブが行われたことは皆無であり、茅ヶ崎公園野球場の周囲には住宅が隣接しており、実現は難しいと思われていたが、この発言を受けて2月末にボランティアで70人の茅ヶ崎市民の有志が"茅ヶ崎にサザンを呼ぼう! 市民の声 実行委員会"を結成し街頭で署名運動を行い、約5万人の署名が集まった。3月9日に署名簿とコンサート開催の要望書が行政に届けられ、添田高明茅ヶ崎市長(当時)がこれを受理し、桑田の功績を讃えたうえでライブの開催に協力することを表明。コンサート会場の確保や、周辺の交通整理などで協力を惜しまない考えを示した[5][1][2]。
同年4月には添田、茅ヶ崎商工会議所会頭、湘南祭実行委員会実行委員長らが所属事務所のアミューズを訪れて正式にコンサートの開催を申し入れ、同社と桑田が快諾したことで晴れて茅ヶ崎ライブの開催が決定。開催とチケットの発売が一般に告知された[6][2]。チケットは一般販売のほか、茅ヶ崎市民優先販売を実施。これは茅ヶ崎ライブがメンバーにとってもファンにとっても特別なものであることと、ライブを実現するにあたって茅ヶ崎市民の協力なしではあり得なかったことを考慮したもので、地元のバックアップが大いに働くこととなった[6]。また、当時茅ヶ崎市はこのライブのために市営野球場の使用料を通常の10分の1に大幅減額する条例改正を行っている[7]。なお、このライブの影響力に関連し、開催に尽力した添田茅ヶ崎市長がチケットを入手出来なかったというエピソードを桑田やボランティアスタッフが語っている[8][9]。
開催前日の8月18日にはゲネプロを一部ファンクラブ会員に公開している[6]。
開催当日には茅ケ崎駅の周辺にはライブを祝う横断幕が揚げられており、街全体が成功を祈る機運に包まれ、社会現象として記事や番組で取り上げられた[1][5]。このライブではオープニング実況に辻よしなり、聖火ランナーとして小川直也が登場[10]。アミューズの後輩の福山雅治が開会宣言を行い、近くの海から花火が上がった[1]。ライブ中には添田高明茅ヶ崎市長(当時)・桑田が幼い頃から通ったパン屋「清月」のおばちゃん・徳光和夫・加山雄三・ダメダメボーイズ(明石家さんま、ココリコ、清水圭、今田耕司、村上ショージ)[注釈 1]といった桑田とゆかりのある人物からのコメントVTRも上映された[11]。
当日は会場外にチケットを持たないファンが音だけでも聴こうと大勢集まった。2日目は地元主催で海岸に大型スクリーンが設置され、そこでもさながらライブ会場のような盛り上がりとなり、ボランティアによる交通整理やゴミ拾い運動なども行われるなど、多くのファンや茅ヶ崎市民に支えられていた[6]。桑田は最後の曲となった「心を込めて花束を」を歌う直前に「茅ヶ崎に生まれて良かったです!!」と感謝の言葉を叫んでいる[12]。
※曲順は公式サイト参照[4]。
ENCORE
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.