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fashion brand ウィキペディアから
コム・デ・ギャルソン(仏: COMME des GARÇONS、略称: CDG)は、日本のファッションデザイナー・川久保玲が1969年に設立したプレタポルテ(高級既製服)ブランド。通称ギャルソン。
1973年に川久保玲が「株式会社コム デ ギャルソン」設立。本社は東京都港区南青山。東京コレクション(1975年〜)、パリコレクション(1981年〜)に参加。ロンドンやニューヨーク、パリなど世界各地において200を超える直営店をもつ。
1991年、ヨウジヤマモトと合同で、東京にてメンズファッションショー「6.1 THE MEN」を実施した。
1983年より家具も手がけており、1991年にはパリで展覧会を開いたが、現在は販売されていない。
北京オリンピックに向けSPEEDO(スピード)社が開発した水着「レーザー・レーサー(LZR Racer)」のデザインでコラボレーションしており、「心シリーズ」として展開され活動の幅を広げている。
2017年の5月にはニューヨークのメトロポリタン美術館で"Rei Kawakubo/Comme des Garçons: Art of the In-Between" 邦題:川久保玲/コム デ ギャルソン : 間の技 (はざまのわざ)が開催された。存命のデザイナーの展示はイヴ・サンローランについで二人目のデザイナーとしての展示となった[1]。
本ブランドの最も大きな特徴は「服の美」に対する強い意識とその主観的な対象化である。それらがどのように具体化され現在に至っているかは下記のとおりである。
本ブランドの服作りは、当初からパリコレ出展以前においては、細密なパターンとそれを生かす最小限の色彩が特徴的であった。しかし、シンプルな外観の斬新さ、という断片的評価のもとに模倣が多くなされたため、その後、パリコレ出展を機に、造形と感受のコンフォートを前衛的な表現としてみせるという転向を図った。具体的には、服の表面に捻りを加える、撓みを持たせる、アシンメトリーの手法を取り入れるなど、布の平面性を越えた大胆な表現を探求している点があげられる。また、海外生産等の活用による合理化を期待されながらも、可能な限り日本国内での生産を手がけ、制作および製造における日本の高い技術の継続および伝承に積極的に取り組んでいる。本ブランドは、世界のファッション潮流を意識しつつも、それに抗して独自のコンセプトを貫徹させるところが際立っており、アンチモードの力強さと評されることもある。本ブランドにおけるアンチとは、一部メディアの不正確な紹介もあって、単に「反対の」という表面的意味に誤解されることは多いが、川久保玲自身の回想インタビューにもあるように、「多勢に動じない自分としての工夫・独自さ」という含みのある意味である。また、ブランド名については、設立時に「積極的に命名したものでなく、他と明確に区別される最小限のもの」であり、度々紹介される「少年のように」という直訳的意味はメディアのエディター等による解釈の一例であり、デザイナー自身の関心は、この意味付けよりも服の造形のほうに、より強い関心を向けているということである。コムデギャルソンを好んで着るものは、しばし、コムデギャルソンの服を「強い服」と称することがある。
本ブランドのデザイン的来歴をみると、レディースにおいては、立ち上げから1970年代の創生期は最も純粋にコンセプトが表現されていた。具体的には、白・生成り・茶・グレー・紺・黒の落ち着いた色使いに加え、反面、その色使いに抗して、布地には大胆で微妙なシルエットを与える二面性を持っていた。しかし、ファッション市場に黒が溢れ出すと、黒の使用を控え、赤を中心に据えたコレクション構成が近年の特徴として挙げられる。他方、メンズにおいては、その立ち上げ時に、思想としてのアンチモードは最も強く、具体的には二重となって表れていた。当時の一般的なモードスタイルは、遊び上手な男の衣装であり、一見して鮮烈な印象を与えるものであったが、それに抗して、働く男の休日の服をイメージさせ、印象を透過する癖のない色使い・形と硬質でややタイトなジャケット&パンツスタイルを基本とした。ブランド創設時からの2年ボタンダウン等)やスクエアカットのリブブルゾンなどの作品展開で新規性の中で再解釈を行った。次いで1980年以降、この再解釈の反動として、シャツの衿型をレギュラー,セミワイド,スタンドの3型を基本として印象の透過性を徹底した。いずれも、ジャケット等の中に在るシャツの身頃と袖の幅を大きく広げ、そして、第1ボタンと第2ボタンの間隔を広く取り、シャツの第1ボタンを外すと、シャツのシルエットと開いた襟元から、開放的な休日の表情を出すというような方法を採った。また、当時はやや緩めのシルエットが一般的であったポロニットをタイトにして、ジャケットのボタンを外したときにも規律感のあるスタイルとなるようにするなどの工夫が凝らされていた。ちなみに、創設時に定番アイテムとして出し2000年頃まで扱っていた、洗いをかけたレギュラーカラーの白無地シャツは、元々はネクタイの結べるビジネスシャツとして使えるやや大きめの衿のもので、働く男の休日をストレートな表現で意図したものであったが、着心地の良さから、その後のワイドシルエットファッションの源流のひとつとなり、その後、外観上似たものが老舗のファッションブランド(JUN)やストリートブランド(文化屋雑貨店)等で販売された。このほか、1979年にはインド綿素材のシングルステッチボタンダウンカラーの、1995年には綿素材極細メッシュ素材のオープンカラーの、当時としては珍しい半袖シャツを出すなど、気候と着心地をかなり意識したものもあった(ただし、素材について前面的に主張することはなかった)。メンズブランドにおいて、現在もなお、心象の表象表現をより視覚化する試みは続いている。そのひとつは、想像される造形もしくは夢で描かれる形の認識といったような色彩概念のない造形概念の具体化であり、BLACK COMME des GARÇONS(ブラックコムデギャルソン)において過去の作品をアンコン化と単色化によって限定的に表現するといったものである。
ところで、別な観点からは、この二面性は本ブランドの本質でもある。この実践として、不変なもの/変化するものという相反する要素をひとつひとつのアイテムに持たせ、不変なものはコンサーバティブやトラディショナルとは次元を異にするアイデンティティーであり、変化するものはこのアイデンティティーによる表現としている。これはコーディネイトにおける煩瑣な様式からの解放と、そこに付加される嗜好の変化である。この服への考えはインターナショナルの舞台において、非構造的ないし解体的な表現として穴や布の縮み・染めとなって具体化され、構造的な表現としてシンメトリーおよびアシンメトリー・布の重ね合わせとなって具体化された。パリコレ進出以降、その傾向として、2014年度のコレクションまでは解体的な表現が多かったが、2015年のコレクション発表に及んで、特に、メンズラインではすべて、ブランド本来の持ち味である構造的な表現がみられた。本ブランドは、服に思想を込めるものであり、これが他のブランドとの間のアドヴァンテージでもあるが、2015年度においては、それが一体的表現としてインテグレイトされている点が従来と異なっている。
本ブランドは、例えば、絵画におけるジョルジョ・デ・キリコやアメデオ・モディリアーニのように、その前衛表現を特徴とする。そして、これは、現在においてもデザイナー各人とクリエーションに関わるすべての人たちのモチーフとなっている。しかし、一方で、定番・準定番とよばれるアイテム群があり、インターナショナルで高級なベーシックブランドとしても広く知られている。
なお、代名詞的に語られる1980年代前半のコレクションの多くは白・黒を中心としたモノ・トーンであり、モード誌等でそれまでのファッションの常識を覆すものであったと評されたことがある。しかし、モードの歴史を正確に追っていった時、黒という色はソニア・リキエル、ジャン・ポール・ゴルチェなどのデザイナーによって1970年代末から取り入れられていたものであり、とりわけソニアは同時代において「黒のソニア」として注目されていた。こうした経緯を踏まえると、この時期に限ったコムデギャルソンの色使いは、現在、国内において広く見られるようになったモノ・トーンによるコーディネイトに先鞭をつけたものである。
その後、「黒」がその流行によってありふれた色となり、黒の持つ「色彩の否定と反抗」の意味が後退すると、赤を「唯一の色彩と他の色の否定」の意味で用いるようになった。そして無彩色や暗色の使用を経て、性差を大胆に超える伸びやかでかつ斬新なデザイン等で、先進的な試みは国際的に高い評価を受け続けており、日本を代表するブランドの一つと見なされている。
また、一方で、コーディネイトにおけるアイテムのフォアグラウンド/バックグラウンドのポジション効果について実験的な試みを行い、特に、1990年代後半ではボディー&クロウズの位相的表現で話題を呼んだ。なお、SHIRTというシングルアイテムのブランドでのトータルコーディネイトからの解放の試みや、アトリエの後続によるブランドの立上げには、この指向が強く現れている。このようなことから、安藤忠雄、村上春樹といった文化人、また海外のロバート・デ・ニーロ、デニス・ホッパー、ビョーク、ファレル・ウィリアムス、カニエ・ウェスト、リアーナ、大坂なおみなどをはじめとする世界各国のセレブリティに愛用されている。
デザイナーは現在4人。川久保玲、渡辺淳弥、栗原たお、二宮啓。
同社社長を川久保が、副社長を渡辺がそれぞれ務め、デザイナーが経営面においても責任を持つという姿勢を明確にしている。なお、同社常務は川久保の実弟である川久保理が就いている。以下はそれぞれのデザイナーの手掛けるブランドである。
なお、川久保玲と渡辺淳弥とでは、デザインへのアプローチが異なっており、前者は完成度の高いパターンを不可欠の前提とした上で、さまざまな表現を試みる傾向にあるが、後者は造形のハーモナイズを不可欠の前提とした上で、時々の関心の高い手法を加える傾向にある。栗原たお、両者とは異なるアプローチをしている。
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コム デ ギャルソンは早くから同業種・他業種とのコラボレーションを行ってきており、別注から一から関わっているもの等様々である。その中でも、JUNYA WATANABE COMME des GARÇONS MANは毎期コラボレーションを行っている。
JUNYA WATANABE COMME des GARÇONS MAN
本ブランドにおける店舗は、単に製品を販売する場ではなく、ファッション表現の重要な要素のひとつとして位置付けられているため、当初から服とともにその話題性は高い。例えば、青山店は、2012年4月7日のリニューアルオープンを原点回帰として、それ以前の空中の開放感と緊張感をイメージさせるものから、発掘・発見されるファッションと遺跡での落着いた雰囲気をイメージさせるものへと変化した。百貨店等テナントや海外店舗などは 公式サイト で公開されている。
大阪店は直営店としては最大級の店舗としてリニューアルした。コム デ ギャルソンの全ブランドに加え、日本で3店舗目となる〈NIKE CdG OSAKA〉、そしてA BATHING BAPE®のショップインショップが存在している[14]。
2009年8月8日より、大阪店2階に「Six」と名づけたアートスペースをオープン。「Six」はSix Senses (the sixth sense) の意味。 “視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚“の5つの現実的な感覚に対して、第六感は、その次の、現実的に表現できない感覚“アレ”と同じような意味で、「6」はシュールレアリスティックでアレなセンスと考えられている。また、コム デ ギャルソンにとって「Six」は、1988年から1991年の間に発行していたイメージマガジンのタイトルで、そこからスペースの名前が付けられた。様々なアーティストとコラボレーションし、コム・デ・ギャルソンの視点で関西からアートを発信する新しい試みを行っている。
開館時間12:00〜19:00 月曜日休廊(月曜日が祝日の場合は営業)
1984年に吉本隆明と埴谷雄高という当時の思想界の大物二人によるコム・デ・ギャルソン論争が起こった。女性誌『アンアン』の同年9月21日号に、DCブランドを着た吉本のグラビア写真と、吉本自身による「ファッション論」が「現代思想界をリードする吉本隆明のファッション」と題して掲載されると、埴谷雄高は文芸誌『海燕』の1985年4月号で、吉本がぶったくり商品の広告塔になったと批判、これに対し吉本は同誌の翌月号で、コム・デ・ギャルソンは現在のデザイン芸術性を世界に誇りうる最上のデザイナー集団であり、同社の東京国際コレクション・85の革新性を称えたうえで、「先進資本主義日本の中級ないし下級の女子賃労働者は、こんなファッション便覧に眼配りするような消費生活をもてるほど、豊かになったのか、というように読まれるべき」と反論した[16]。
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