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ギリェルモ・コリア
アルゼンチンのテニス選手 (1982 - ) ウィキペディアから
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ギリェルモ・セバスティアン・コリア(Guillermo Sebastián Coria, 1982年1月13日 - )は、アルゼンチン・ルフィーノ出身の元男子プロテニス選手。2004年の全仏オープン男子シングルス準優勝者。シングルス自己最高ランキングは3位。身長175cm、体重69kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ATPツアーでシングルス9勝を挙げた(ダブルス優勝はない)。同国のライバル、ダビド・ナルバンディアンとは年齢も同じで、幼少時からしのぎを削ってきた。名前はアルゼンチンの男子テニス選手、ギリェルモ・ビラス(Guillermo Vilas)にあやかって「ギリェルモ」と命名された。
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経歴
テニスコーチであった父親オスカーは、長男がよちよち歩きのうちからテニスを教え始めたという。1999年全仏オープン男子ジュニア部門でダビド・ナルバンディアンを破って優勝し、2000年にプロ入り。
2003年のシーズンに急成長を始め、年間5勝を挙げて世界ランキングトップ10に入る。この年に初めて全仏オープンの準決勝に進出を果たし、幼い頃から憧れてきたアンドレ・アガシを準々決勝で破ったが、続く準決勝でマルティン・フェルケルクに6-7, 4-6, 6-7のストレートで敗れた。
2004年全仏オープンに第3シードで出場し、準々決勝でカルロス・モヤ、準決勝でティム・ヘンマンを破って念願の決勝進出を果たす。決勝はノーシードから勝ち上がったガストン・ガウディオとの“アルゼンチン対決”になった。コリアが先に6-0, 6-3 2セットを奪ったが、勝利が目前に見えてきたところで、ガウディオが土壇場から反撃を開始し、6-4, 6-1で第3・第4セットを奪い返す。最終第5セットで、コリアに5本のマッチ・ポイントが訪れたが、ガウディオに6-8で押し切られて準優勝に終わった。
2005年全仏オープンは4回戦で止まったが、ウィンブルドン選手権4回戦進出と全米オープンベスト8がある。
2006年はセカンドサーブに苦しみ不調に陥る。更に春に右肩を痛め、得意とする全仏オープンを欠場した。故障は長引きウィンブルドン選手権も欠場、7月に復帰するも全米オープンは1回戦で途中棄権に終わった。その後長期離脱し、2007年9月には遂にランキングを失っている。
2008年2月にブラジル・オープンで、ATPツアーの大会では1年7ヶ月ぶりとなる勝利を挙げたものの、怪我の治療の為ツアーへの参加は断続的なものとなっており、ランキングも500位台までしか戻せなかった。2009年4月に引退を表明。
現在は地元アルゼンチンにテニスアカデミーを開校し、ジュニア・若手選手の育成、並びにマネージメントを行っている。
コリアは摂取したビタミン剤が原因でドーピング違反となり2001年8月から7カ月の出場停止処分を受けたことがある。名誉回復と慰謝料を求めて製造元の食品会社を提訴していたが、2007年に和解した[1]。
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プレースタイル
身長175cmと小柄だが、フットワークと変化をつけたストロークで活躍した。特にクレーコートを得意とし、ツアー9勝中8勝を挙げている。
ATPツアー決勝進出結果
シングルス: 20回 (9勝11敗)
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4大大会シングルス成績
- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
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脚注
外部リンク
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