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ジョージ・ハリスンのアルバム ウィキペディアから
『オール・シングス・マスト・パス』(All Things Must Pass)は、1970年11月27日に発売されたジョージ・ハリスンのスタジオ・アルバム。LPレコード3枚組(CDでは2枚組)というボリュームの大作で、全英・全米ともに第1位を記録した彼のソロ・キャリアにおける代表作である。
『オール・シングス・マスト・パス』 | ||||
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ジョージ・ハリスン の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | 1970年5月26日-1970年10月 Abbey Road Studio, Apple Studio, Trident Studio London | |||
ジャンル | ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | Apple(UK&US) アップル・レコード/東芝音楽工業(現:東芝EMI)(JPN) | |||
プロデュース |
ジョージ・ハリスン フィル・スペクター | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
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ジョージ・ハリスン アルバム 年表 | ||||
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『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・グレイテスト・アルバム500』において、368位にランクインしている[1]。
ビートルズ在籍中から制作していた楽曲を中心に収録したアルバムで、ハリスンの作詞の実力が発揮されている。1970年代の幕開けを飾るロックの金字塔とも評された。シングルでも「マイ・スウィート・ロード」[2]、「美しき人生」[3]といったヒットを生み出した。アルバム全体を通して、ハリスンが崇拝する神への念を素直に表現している。オリジナルLPのディスク3は“Apple Jam”と呼ばれ、ハリスンらを中心としたジャム・セッションの様子を収録。
エリック・クラプトンを中心としたデレク・アンド・ザ・ドミノスのメンバーや、リンゴ・スター、バッドフィンガー、ビリー・プレストン等のミュージシャンが本作に参加した。プロデュースはハリスンとフィル・スペクターの共同名義である。
プロデューサーのスペクターが、ハリスンの未発表曲を聴いたとされるのは1970年の初頭とされている。スペクターは「ジョージのフライアー・パークに行って・・・"君に聴かせたいちょっとした曲があるんだ "と言われたんだ。それは終わりのない事だった! 彼は文字通り何百もの曲を持ってて、それぞれが他の曲より優れてた。彼が僕に発表した時、この様に全ての感情を蓄積してたんだ」と語っている[4]。また、一部の楽曲はボブ・ディランと共作しており、その内の1曲である『アイド・ハヴ・ユー・エニータイム』は、アルバムの1曲目に収録された。
ビートルズ在籍時に制作された楽曲も多く、『レット・イット・ダウン』は1968年の末に書かれ、ゲット・バック・セッションの中でも数曲が披露された[5]。その他にも、ビートルズから一時離脱する際に書いた『ワー・ワー』、ビートルズ間の友情に焦点を当てて書かれた[6]『ラン・オブ・ザ・ミル』等が存在する。
1970年5月1日には、本アルバムの制作に取り掛かる前にニューヨークで行われていたディランのセッションに参加[7]。そこで、ディランが制作していた楽曲『イフ・ノット・フォー・ユー』を手に入れた。
本アルバムは「全体が峡谷の縁で起こっている」「緊張と切迫感を持って曲が演奏されている」と評価されている[8]。
3枚目には、“Apple Jam”と評したジャム・セッションの模様が収録されている。5曲中4曲はインストゥルメンタルの楽曲となっている[9]。『アイ・リメンバー・ジープ』はクラプトンの愛犬の名前に由来し[10]、『サンクス・フォー・ザ・ペッパロニ』は、レニー・ブルースの台詞に由来している[11]。
『ジョニーの誕生日』は、ジョン・レノンの30歳の誕生日を祝うために制作されたもので、メロディーはクリフ・リチャードのヒット曲『コングラチュレーションズ』を引用している[12]。それまで、本曲のクレジットはハリスンの物であったが、1970年の12月に作曲者であるビル・マーティンとフィル・コールターが使用料を請求したために、この二人を作曲者に含めた物に変更された[10]。
音楽史家のリッチー・ウンターバーガーによると、本作の録音の正確な日付は明らかでない[13]。しかし、本作のプリプロダクションは映画『レット・イット・ビー』のワールドプレミアと同日の1970年5月20日から開始されていたという[12]。
また、最初のアルバムの正式な録音作業は1970年5月26日に、ロンドンのアビイ・ロード・スタジオで行われた[10]。
録音に参加したドラマーのアラン・ホワイトは、「ミュージシャンたちの間に本当に良い絆が生まれ、もめ事は一切なかった」と好意的に語っている"[14]。
因みに『プラグ・ミー・イン』と『サンクス・フォー・ザ・ペッパロニ』の2曲は、1970年6月後半にロンドンのアップル・スタジオで録音が行われた[12]。
また制作の最中にスペクターがスタジオで転倒し腕を骨折し、休養に入った[15]。
スペクターが不在の間、ハリスンはエンジニアのケン・スコットと共同でロンドンのトライデント・スタジオにてオーバーダビングを開始[12]。その後、ロサンゼルスで療養中のスペクターに初期ミックスを送り、スペクターは1970年8月19日付の手紙で「更なるオーバーダビング、最終ミキシング」の提案を述べた[12]。
また、ジョン・バーハムによるオーケストレーションが同年9月上旬に録音された[16]。また、同時期にハリスンのボーカルやスライドギター、バッキング・ボーカルのパートのオーバーダビングが開始された[10]。
バーハムはフライアー・パークに滞在し、ハリスンがギターやピアノで弾いたメロディーから譜面を作成した[17]。
最終的なミキシングは10月の末にスペクターと共同でニューヨークにて行われた[18]。
2001年1月24日、『オール・シングス・マスト・パス ~ニュー・センチュリー・エディション~』と題したバージョンが発売された。こちらはハリスン自身が監修し、全曲に最新のデジタル・リマスタリングが施されている。エンジニアをスコットが、ジョン・アストリーがリマスタリングを担当した。ハリスンとスコットは本作に使用されたリバーブの量に衝撃を受け、同時にリミックスを施すことを考えたが、EMIが反対した[19]。
ジャケットの写真はカラー化され、ジャケットのフライアー・パークが徐々に都市に浸食されていく様子を表している[10]。
このバージョンには未発表曲やラフ・ミックス、デモ・テイク、新たなアレンジで再録された音源などが新たに追加されている。また、スコットによると、ハリスンは当初「アルバムに参加したメンバーの回想の記録を収録したボーナス・ディスク」を追加したいと考えていたという。しかし、スターがこの録音作業の記録を覚えていなかったことから、急遽この企画を断念することになったという[19]。
2010年11月26日、発売40周年を記念し、オリジナルの構成のまま、3枚のビニール製LPの限定ボックスセットで再発売された[20]。
2014年9月22日、2014年最新のリマスタリングを施し再発売された[21]。内容は2001年盤と同様、日本盤のみSHM-CDで発売されている[22]。
2020年11月27日、楽曲『オール・シングス・マスト・パス』のステレオ・リミックスが発売された。その後、2021年8月6日に改めて本アルバムが再発売された。
ハリスンは2001年再発盤のライナーノーツでも「すべての曲をリミックスするというアイデアには抵抗しづらい。当時は分厚い音作りが相応しいように思えたが、長い年月を経た今、僕はそうした音作りからいくつかの曲を解放したいと考えている」と答えており[23]、今回の再発盤では2021年の最新リマスタリング&リミックスが施されている[24]。
今回の再発盤では、通常音源に加え、未発表のデモテイク、アウトテイク、ジャムセッションの音源ら70曲が収録された5枚のCD、オリジナルアルバムのHDステレオ、5.1サラウンド、ドルビー・アトモスのオーディオが収録されたBlu-ray、オリヴィア・ハリスン監修のブックレットが付属されたスーパー・デラックス・エディションの他、デラックス・エディション、2CDエディション、スーパー・デラックス・LPエディションらの形態で発売されている[25]。
特記のない楽曲はジョージ・ハリスンによるもの。
オリジナルリリース
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リイシュー
50周年記念盤
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