エフゲニー・キーシン
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エフゲニー・キーシン(ラテン文字転写:Evgeny Igorevich Kissin;ロシア語: Евге́ний И́горевич Ки́син、1971年10月10日 - )は、ロシア、イギリス、イスラエルの国籍を持つピアニスト、作曲家。近年は原語読みのエフゲーニで記されることも多くなってきている[1]。
エフゲニー・イーゴレヴィチ・ キーシン | |
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2021年 | |
基本情報 | |
出生名 | Евгений Игоревич Кисин |
生誕 |
1971年10月10日(53歳) ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 モスクワ |
学歴 | グネーシン音楽学校 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
公式サイト | エフゲニー・キーシン ジャパンアーツ |
1971年、モスクワでユダヤ系の家系に生まれた。わずか2歳でピアノを学び始めた。グネーシン音楽学校に進んで、アンナ・パヴロフナ=カントルにその後長らく師事した。10歳でモーツァルトのピアノ協奏曲第20番(K.466)を弾いてデビューし、11歳で初リサイタルを開くなど、幼い頃から神童ぶりを発揮した。12歳の時にドミトリー・キタエンコの指揮するモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団との共演時に弾いたショパンのピアノ協奏曲が発売され、世界中の注目を浴びることとなった。
以来、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン交響楽団、アバド、カラヤン、小澤など多くの著名オーケストラ、指揮者と共演を重ねている。
日本では、1986年に初来日し、全国ツアーを行った[2]。2003年に再来日し、いずれも好評であった。また、1990年9月30日にカーネギー・ホールにおいて、アメリカ・デビューを果たした。当日の演奏は絶賛され、CD化されて、世界的名声をいっそう確かなものとした。
旧ソ連生まれだが、2002年に英国籍を取得し、2013年にはイスラエル国籍も取得している多重国籍者である。
ウクライナ軍を支援するイベントに参加したことから、2024年7月19日、ロシア司法省によりスパイと同義の「外国のエージェント」に指定された[3]。
早くから才能を認められてピアニストとして活動したため、マスタークラス等で世界的に著名な教師に師事したり、コンクール入賞歴はほとんどないが、国際的ピアニストとして世界各地で演奏、さらに録音活動を積極的に続けている。好きなピアニストとして、ラドゥ・ルプー、マレイ・ペライア、シフ・アンドラーシュなどを挙げている。
少年時代にはピアノ小品を作曲し、演奏・録音した。2000年代から作曲活動を再開し、初めて出版した『4つのピアノ小品』作品1の「トッカータ」、「ドデカフォニック・タンゴ」を演奏会のレパートリーとしてよく演奏している。
ソ連時代には、世界各地の民謡をリサイタル後のアンコール・ピースとして編曲したこともあった。日本の文部省唱歌を編曲したものは、まとめてアルバムも作ったが現在は入手が困難である。
ショパン、リスト、チャイコフスキー、ラフマニノフ、スクリャービン、プロコフィエフ、ベートーヴェンなど多岐に渡るレパートリーを誇っている。かつてはロマン派音楽とロシアとソ連のピアノ音楽を中心に、超絶技巧を聴かせる曲目が多かったが、近年ではフランクやブラームス、メトネルなど、より内面的・瞑想的な性格の作曲家の作品にも意欲的にとりくみ、新境地を開拓している。
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