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エティエンヌ・アンリ・ジルソン(Étienne Henri Gilson、1884年6月13日 - 1978年9月19日)は、フランスの哲学者、哲学史家。専門は西洋中世哲学、キリスト教哲学。デカルト研究で知られる。ノーベル文学賞にノミネートされたが、受賞には至らなかった。
1884年6月13日、パリのカトリックの家庭に生まれる。父はムラン、母はブルゴーニュの出身。聖クロチルド聖堂区キリスト教兄弟小学校、ノートルダム・デ・シャン小学校、アンリ4世校哲学科を経て、1905年にパリ大学入学。パリ大学ではヴィクトル・デルボス (Victor Delbos) 、デュルケーム、レヴィ=ブリュールに師事。その後、コレージュ・ド・フランスにてベルクソンに師事する。その後、ブール=カン=ブレスのリセ・ラランド(Lycée Lalande)などでリセの哲学教授(教師)として教鞭を執る。
1913年、デカルト研究でパリ大学より博士号取得。1913年、リール大学文学部講師。
1914年、陸軍予備役下士官として招集され、1916年にドイツ軍の捕虜となった後、1919年除隊。
1919年、ストラスブール大学教授。1921年、パリ大学文学部教授に就任し、哲学史を担当。1929年、カナダ・オンタリオ州のトロント大学に中世研究所を創設し所長。1932年、コレージュ・ド・フランス教授。
他にもハーバード大学など、北米ほか各地の大学にも招聘され講義を行なった。特に1930年から32年にかけ、スコットランドのアバディーン大学でのギフォード講義「The Spirit of Medieval Philosophy 中世哲学の精神」は著名で各国語に訳された。
指導教官リュシアン・レヴィ=ブリュールに勧められたことから、デカルトの研究を開始する。そして、1912年に、デカルトの定立した概念がいかに中世に定立された概念に依拠しているかを文献を詳細に比較して分析した『スコラ哲学=デカルト哲学索引』 (Index scolastico-cartésien) を発表する[1]。
その上で、近代ないし近世哲学と中世哲学との連続性を主張して、暗黒の中世的な哲学史観に転換を迫り、中世哲学の研究で業績を上げた。コレージュ・ド・フランスで、アンリ・ベルクソンの講義を聞き、トマス・アクィナスの研究を始めた。そこから、中世西洋哲学には、古代ギリシア哲学にはない、存在優位の思想があると主張して、両者の異質性を強調した。
エミール・ブレイエらは、物理学や数学にキリスト教的物理学やキリスト教的数学が存在し得ないのと同じように、キリスト教的哲学 (philosophie chrétienne) は、過去には存在しなかったし、本質的に存在し得ないと主張した。これに対して、キリスト教的哲学を肯定する立場から、論争を繰り広げた。ジルソンによれば、哲学には、形式的本質と歴史的実在の二つの秩序がある。そして、キリスト教的哲学は、歴史的実在としての秩序に属し、その意味で過去に存在したし、イスラム哲学、ユダヤ哲学と共に、哲学史の研究対象になると説いた。
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