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アンドレ・ドーソン
アメリカの野球選手 (1954 - ) ウィキペディアから
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アンドレ・ノーラン・ドーソン(Andre Nolan Dawson, 1954年7月10日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。愛称はホーク[1]。
400本塁打・300盗塁はウィリー・メイズ、バリー・ボンズ、アレックス・ロドリゲスを含めMLB史上4人しか達成していない[1]。
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経歴
要約
視点
プロ入りとエクスポズ時代
1975年のMLBドラフト11巡目(全体250位)でモントリオール・エクスポズ(現:ワシントン・ナショナルズ)から指名され[2]、入団。
1976年9月11日にメジャーデビューし、その年は24試合に出場。
1977年には139試合に出場して打率.282、19本塁打、65打点、21盗塁の成績でナ・リーグ新人王を受賞した。
1983年までの間、1980年(34盗塁を記録したが本塁打が17に終わる)を除いて毎年20本塁打、20盗塁以上を記録。 ただしその1980年には打率.308、17本塁打、87打点、34盗塁でシルバースラッガー賞を初受賞(以後4回受賞)。守備力にも優れ、1980年にゴールドグラブ賞を初受賞し、通算8回受賞した。
1981年(チームが球団創設初の地区優勝)と1983年にはいずれもMVPの投票で2位となった。 当初は中堅手であったが膝の故障もあり1985年には右翼手にコンバート。 そこでも華麗な守備は変わらず、1986年を除いて毎年ゴールドグラブ賞を受賞した。
1986年のオフにフリーエージェントとなった。このオフには、各球団のオーナーが共謀して高額のフリーエージェントの締め出しにかかった(後に独占禁止法違反とされた)。その結果、エクスポズでのチームメイトティム・レインズは旧所属球団との交渉解禁となる翌年5月1日までどこの球団とも契約できず、結局エクスポズと契約したり、ボブ・ホーナー(前アトランタ・ブレーブス)も行き場を失いNPBの東京ヤクルトスワローズと契約するなど、FAにとっては冬の時代であった。ドーソンもホーナーと同じくNPB行きを検討していたが、妻の反対にあい断念[1]。移籍先はなかなか決まらなかった。
シカゴ・カブス時代
1987年3月9日にシカゴ・カブスが好きな数字を入れられるよう金額部分を白紙にした契約書を用意し、スプリングトレーニング中に契約を結んだ[1]。1986年オフのFAでは唯一に近い移籍例となったが、額は50万ドルでしかなく、カブスのレギュラーでは最低クラスの年俸での移籍であった。 移籍先にカブスを選んだ理由の一つに、膝の故障を抱えているため天然芝でのプレイを希望していたことがあげられる[1]。(エクスポズの本拠地オリンピック・スタジアムは人工芝だが、カブスの本拠地リグレー・フィールドは天然芝であった。)
同年は前年の20本塁打から49本塁打と倍増以上の強打を誇り、打点も137を記録。本塁打王と打点王のタイトルを獲得し、チームが地区最下位にもかかわらずMVPを受賞した(当時カブスはナ・リーグ東地区所属)。
1989年にカブスはナ・リーグ東地区優勝を果たし、サンフランシスコ・ジャイアンツとプレーオフで戦った。しかしドーソンはこのシリーズで打率.105に終わり、チームもジャイアンツに1勝4敗で敗退。チーム史上44年ぶりのワールドシリーズ進出はならなかった。
1990年には通算300盗塁を記録して、300本塁打を1989年4月23日に達成していたため史上3人目となる「300-300クラブ」の一員となった。
1992年にFAとなった。
カブス退団後
1993年にはボストン・レッドソックスに移籍。
1995年には故郷のフロリダ・マーリンズに移籍して、2年プレイして現役を引退した。
引退後

モントリオール・エクスポズの永久欠番に1997年に指定。
引退した1997年にエクスポズ在籍時の背番号『10』は、永久欠番に指定された。なお、エクスポズの背番号『10』はドーソン以前につけていたラスティ・スタウブが1993年に同じく欠番に指定されており、初の永久欠番指定追加者となった。なお、エクスポズがワシントンD.C.に移転し、ワシントン・ナショナルズとなった2005年をもって欠番は失効、現在は「旧モントリオール・エクスポズ永久欠番」として残っている。2004年にカナダ野球殿堂入りを果たした。アメリカ野球殿堂の投票では、2005年から4年連続して60%前後の得票率(殿堂入りには75%の得票が必要)に留まり、殿堂入りは果たせていなかったが、2010年に殿堂入りを果たした。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞
タイトル
表彰
- シーズンMVP:1回(1987年)
- 新人王(1977年)
- シルバースラッガー賞(外野手部門):4回(1980年、1981年、1983年、1987年)
- ゴールドグラブ賞(外野手部門):8回(1980年 - 1985年、1987年、1988年)
- ハッチ賞:1回(1994年)
- プレイヤー・オブ・ザ・マンス:3回(1983年6月、1987年8月、1990年5月)
- オールスターゲームでのホームランダービー優勝(1987年)
記録
背番号
- 24(1976年)
- 10(1977年 - 1986年、1993年 - 1994年)※ラスティ・スタウブと共同で旧モントリオール・エクスポズの永久欠番
- 8(1987年 - 1992年、1995年 - 1996年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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