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アリス・ヘスター・エリザベス・シュレジンガー(ヘブライ語: אליס שלזינגר 、英: Alice Hester Elizabeth Schlesinger、1988年5月26日 - )は、イスラエルの女子柔道家。身長は165cm[1]。 テルアビブ出身。2014年に国籍をイスラエルからイギリスに変更した[2]。
2004年のヨーロッパカデ選手権57kg級で優勝すると、世界ジュニアでは3位になった。その後、階級を63kg級に上げた。2008年北京オリンピックでは2回戦でフランスのリュシ・ドコスに有効で敗れた[1]。2009年の世界選手権では地元オランダのエリザベト・ウィルボーダスに合技で敗れるものの3位となった。2010年の世界選手権では準々決勝で日本の上野順恵に指導2で敗れるなどして5位に終わった。2011年の世界選手権では2回戦で敗れた。2012年には国内のライバルであるヤーデン・ジェルビに競い勝ってロンドンオリンピックに出場するが、準々決勝でスロベニアのウルシカ・ジョルニルに腕挫十字固で敗れると、敗者復活戦でもフランスのジブリズ・エマヌに指導2で敗れて7位に終わった[1]。その後、イスラエル柔道連盟はシュレジンガーの恋人でありコーチでもあるパベル・モシンの給料を切り下げた。また、オリンピックの結果を踏まえて、各個人よりも代表での練習を主体とするチームへ再編成することになった。シュレジンガーに対しても、新しく女子ナショナルチームの監督となったジェルビのコーチでもあるシャニ・ヘルシュコの下で指導を受けるように指示した。シュレジンガーとモシンはこの決定に憤激した。しかし、それでも一時はナショナルチームに加わったが、2013年にブダペストで開催されたヨーロッパ選手権の旅費を巡る金銭トラブルからチームを離れることになった。その後、世界選手権でライバルのジェルビが優勝するとシュレジンガーは、「イスラエル柔道連盟は2016年のリオデジャネイロオリンピックに誰を出場させるか既に決定している」と主張した。その点についてはロンドンオリンピック終了直後に会長のモシェ・ポンティにも言われていたことだという。かくして、シュレジンガーは再出発を図るために国籍変更を決めた。対立関係にあるイスラエル柔道連盟がそれに同意して状況が整えば、母親の出身国であるイギリス代表になることも可能となる[3][4]。2014年4月にはイスラエル柔道連盟がイギリスへの国籍変更に同意したために、12月にはイギリスの国内選手権63kg級に出場して優勝を飾った[5][6][7]。イギリス代表として出場した最初の国際大会である2015年のヨーロッパオープン・ソフィアでは、決勝で日本の津金恵に技ありで敗れて2位だった[8]。 2016年のリオデジャネイロオリンピックでは2回戦で敗れた[2]。
なお、2013年にはクラッシュの世界選手権63kg級とサンボの世界選手権64kg級でそれぞれ優勝している[9][10]。加えて、ユニバーシアードのベルトレスリング66kg級でも優勝した[11]。2014年にはサンボの世界選手権64kg級で2連覇を達成した[12]。
以降は63kg級での戦績
(出典[2]、JudoInside.com)
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