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アリストテレス全集(アリストテレスぜんしゅう、羅: Corpus Aristotelicum, 英: Aristotelian Corpus)は、アリストテレス名義の著作を集成した全集叢書。アリストテレス著作集ともいう。
アリストテレスの著作群の中から講義・研究文献を抜き出して現在の形に編纂したのは、逍遙学派(ペリパトス派)の第11代学頭だった紀元前1世紀の学者ロドスのアンドロニコスである[1][2]。
今日的な
といった配置を定めたのも彼であり、アリストテレスの「第一哲学」が「meta-physics」(希: μετα-φυσικά, 羅: meta-physica, (自然後学→)形而上学)と呼ばれるようになったのも、彼がその関連著作群をまとめて、「physics」(希: φυσικά, 羅: physica, 自然学)の後ろに配置したことで、「自然学(physica)の後(meta)のもの」(希: (τα) μετά τα φυσικά)と呼ばれたことに由来する[2]。
上記の通り、アンドロニコスはアリストテレスの主要な講義・研究文献だけを抜き出して編纂し、それが今日伝えられている『アリストテレス全集』の原型となっているが、アリストテレスにはそれら以外にも、一般向けの対話篇など、膨大な数の著作があった。
ディオゲネス・ラエルティオスは『ギリシア哲学者列伝』の中で、アンドロニコスの編纂以前の古い資料に基づき、「書簡集」を除いても140以上の題名から成る膨大な著作目録を記録している[3]。
そのほとんどは歴史的過程で散逸していたが、19世紀後半からの文献学的努力により、そのいくらかが今日「断片集」として復元されている。
ディオゲネスによる哲学分類
ちなみに、ディオゲネス・ラエルティオスは、そうした一連の著作の中で述べようとしているアリストテレスの見解として、哲学の領域は、
であり、その目的とそれに対応する技術・能力は、
であり、需要・効用とそれに対応する著書・手段は、
であり、真理の基準は
であると分類・説明している[4]。
モローの目録分類
また、フランスの文献学者ポール・モローは、このディオゲネスの著作目録を、新プラトン派の用語に則り、
と分類している[5]。
このように、ディオゲネスが参照した分類・枠組みは、紀元前1世紀にアンドロニコスによって編纂された分類・枠組みを経ていない、より原初的・未洗練なものであり、著作の順序も異なっていることが分かる。特に、
点が、大きく異なる。
中世までの写本に代わり、15世紀-16世紀に西欧で活版印刷が確立・普及すると、ルネサンスの時代背景を追い風に、アリストテレスの著作も含め、古代・中世の著作物が文献考証を伴いながら様々な印刷工房によって編纂・出版されるようになった。
そんな中で、近代における「アリストテレス全集」の標準的な底本の地位を獲得したのが、1831年に出版されたイマヌエル・ベッカー校訂の「アリストテレス全集」である。これは各ページが2分割(2段組)されたギリシア語原文の叢書である。以降、アリストテレスの著作を翻訳する際には、この「ベッカー版」のページ数・左右欄区別(左欄はa, 右欄はb)・行数を付記して対応関係を示すのが約束事になった。この数字は「ベッカー数」(Bekker numbers)、「ベッカー番号付け」(Bekker numbering)、「ベッカー頁付け」(Bekker pagination)等と呼ばれる。
論理学
自然学
形而上学
倫理学
政治学など
その他
歴史の過程で散逸したアリストテレスの著作に関する研究、各種の「断片」からその復元を試みる研究は、19世紀後半以降活発になった[6]。
その嚆矢となったのが、ドイツの古典文献学者ヴァレンティン・ローゼ(Valentin Rose)である。彼の研究成果は、1863年に『Aristoteles Pseudepigraphus』(R1)として初めて出版された。1870年には彼の『Aristotelis qui ferebantur librorum fragmenta』(R2)が、ベッカー版「アリストテレス全集」第5巻に収録された。その改訂版(R3)は1886年に出版された。
下述するオクスフォード古典叢書(OCT)内の、1955年出版ウィリアム・デイヴィッド・ロス校訂の断片集『Fragmenta Selecta』は、上記「R2」「R3」と、1934年出版リヒャルト・ワルツァー校訂『Aristotelis Dialogorum Fragmenta』(W)の3つを参照している。
こうして今日の「アリストテレス全集」の多くには、「断片集」も付け加えられるようになり、研究の進展に伴い、その量も増えてきている[7]。
『アテナイ人の国制』は歴史の過程で散逸しており、「ベッカー版」には含まれていなかったが、1890年にエジプトで1世紀末-2世紀初頭のパピルス写本が見つかり、それを大英博物館が入手し、翌1891年初頭にFrederic G. Kenyonによる復元・校訂本が発行されたため、これ以降に出版・刊行された「アリストテレス全集」類には、「ベッカー数」(Bekker numbers)が無いこの本篇も含まれるようになる。
ベッカー版以後のものとしては、オクスフォード古典叢書(Oxford Classical Texts, OCT)の一環として、1920年以降に英国で出版されてきた校訂本もよく参照される。ラテン文字圏である都合上、題名はラテン語名が採用されているが、中身はギリシア語原文(とラテン語の序文・注釈)である。(※出版年は現在確認できる参考程度のものを付記する。)
1937年-1944年に3・8・9・12・16巻を、敗戦後改めて1947年-1956年に6・8・9・12・13・15・16巻を刊行したが、完結しなかった。
1968年-1973年に刊行した「アリストテレス全集」(岩波書店、出隆、山本光雄監修)は、直接的にはオクスフォード古典叢書(OCT)等を底本とし[8]、順序はベッカー版などと同じく伝統的な順序に則りつつ、最終17巻に『アテナイ人の国制』と『断片集』を付け加える構成となっている。
2013年より刊行開始した『アリストテレス全集 新版』(内山勝利、神崎繁、中畑正志編集委員)は、上記の旧版を踏襲した構成となっているが、題名変更も多い[7]。特に、従来の漢字語の簡潔な題名から、「~について」(希: Περὶ ~, 羅: De ~, 英: On ~)という原題に忠実な長めの題名への変更が目立つ。
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