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アラン・リックマン
イギリスの俳優 (1946-2016) ウィキペディアから
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アラン・シドニー・パトリック・リックマン(Alan Sidney Patrick Rickman, 1946年2月21日 - 2016年1月14日)は、イギリスの舞台および映画俳優。長い無名時代を過ごした後に舞台俳優として名を挙げ、42歳で映画初出演、トップレベルの俳優として世界的に認知された「ハリーポッター」シリーズに初出演した時は55歳で遅咲きの俳優としても知られる[1]。
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生涯
要約
視点
4人兄妹の次男としてロンドンのハマースミスの労働者階級の家庭に生まれた[2]。兄弟には上から兄・弟・妹がいる[3][4]。父はアイルランド系で、アランが8歳の時に亡くなっている。
当初はグラフィックデザイナーをしていたが[5]、その後ロンドンの王立演劇学校に入り[6]、英国の舞台演劇で活躍する。
1985年のロイヤル・シェイクスピア・カンパニーによる Les Liaisons Dangereuses では男性のリード役として印象を残し、同作のブロードウェイ・プロダクション(1987年)ではトニー賞にノミネート。
またテレビではBBCの『バーチェスター・タワーズ』においてスロープ氏役を演じるなど、更に活躍の場を広げた。日本の演出家蜷川幸雄が手がけた舞台 Tango at the End of Winter では主役を演じた。
1988年、『ダイ・ハード』で映画初出演。冷酷無比なテロリスト集団のリーダー、ハンス・グルーバー役を熱演し、映画デビュー作にして、代表作の一つと認知される人気を得る。
1991年、『ロビン・フッド』では英国アカデミー賞助演男優賞を受賞。
1996年、『ラスプーチン』ではゴールデングローブ賞の男優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)とエミー賞(プライムタイム・エミー賞)のミニシリーズ/テレビ映画部門の主演男優賞を受賞。
1997年、自ら初めて監督を務めた自主製作映画の「ウィンター・ゲスト」のプロモーションで来日。ちなみにこの時の来日会見で猛練習した日本語を披露した。
2002年には、ロンドン(2001年)とブロードウェイで大成功した舞台『Private Lives (私生活)』でトニー賞に再びノミネートされた。
学生時代からの付き合いであるパートナーで労働党の元地方議会委員リマ・ホートン (Rima Horton) と1977年からロンドン市内(ウエストボーン・グローブ)で同棲しており[7][8][9]、2012年に正式に結婚した[10]。
独特の低音で甘い声も魅力のひとつであり、「ミルクチョコレート・ヴォイス」「ベルベット・ヴォイス」などと形容されていた。
ティム・バートン制作の作品に多く起用される役者の1人でもあった。
2016年1月14日、膵臓癌により69歳で死去[11]。没後に公開された『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』と『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』が遺作となった。
ハリー・ポッター・シリーズへの出演
数ある作品の中で、特に『ハリー・ポッター』シリーズ(2001年から2011年)でセブルス・スネイプ役を演じたことは大きく、原作ファンからも「スネイプそのもの」と高い評価を得ていた[要出典]。現場の出演者たちからもかなりの尊敬と畏怖を抱かれていたという。
リックマンは当初、『ダイ・ハード』や『ロビン・フッド』のような型にはまった悪役を演じることに難色を示し、スネイプのオファーを渋っていたという[12][13]。しかし、原作者のJ・K・ローリングがリックマンをディナーに連れ出し説得したことで、オファーを受諾した[12][13]。
そのような経緯から、「『意外な展開になるからそれを知った上で演技してほしい』との意向で、リックマンだけが唯一、ローリングから最終話のあらすじやスネイプの過去を知らされていた」「自分のせいでばれてしまわないかずっと不安がっていた」などと度々噂され、ローリングもそれを示唆する発言をしたことで半ば事実として話が広がった。しかし、リックマン本人はこれをほぼ否定しており、生前のインタビューでも、ローリングとスネイプに関する話をしたことは事実だが「結末について話されたことは全くなくて、(ローリングは)ごくわずかな情報を提供してくれたというだけだよ。私の助けになるようにと、彼がどのような人物であるかについての小さなヒントをもらったに過ぎない。彼の結末はこうなるとかいったことではなかったよ」[14]と話している。
ただ、複数の証言から、少なくともオファー当時(3巻までが出版されていた[14])より、まだ世間には未発表だったスネイプの何かしらの設定を先に知らされていた可能性は高い[12]。映画第1作などを監督したクリス・コロンバスによれば、撮影現場でリックマンに「(先ほどの演技は)何だったんだ?」と尋ねた際、「7冊目を読めば分かるよ」と返されていたという[12][13]。主演のダニエル・ラドクリフも、リックマンは撮影の最初の段階から、スネイプにこの先何が待ち受けているかを知っていた人物だと話している[12]。リックマン本人は、ローリングと事前にどのような話をしたかについては「一切口にしないと(ローリングと)約束をした」としていた[14]。リックマン没後の2022年9月に公開された日記から、ローリングから「スネイプがリリー・ポッター[ハリーの母]を愛していた」ことを事前に伝えられていたことが分かった[15]。
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主な出演作品
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CD
- When Love Speaks (2002/4/23) 詩を朗読
日本語吹き替え
『ハリー・ポッターと賢者の石』のセブルス・スネイプ役を演じて以降、リックマンが亡くなるまで大半の作品で土師孝也が専属(フィックス)に近い形で担当していた。土師によるリックマンの吹き替えは同業者からも評価が高く、「アラン・リックマンはもうこの声しか考えられない」と評されるほどに定着していた[17]。
『ロビン・フッド』は既に他の声優で吹き替えが行われていたものの、「あれはあれで最高なんですけど、スネイプ先生(土師)でも聞いてみたい」という当時のプロデューサーの想いから、テレビ東京ではリックマンに土師を迎えた新録版が作られることもあった[18]。
土師はリックマンについて「彼はあまり表情を出さないで声音で表現する」と分析しつつ、そこを捉えてリックマンがやっている芝居の方を読み解きながら演じていると述べている[19]。
土師自身、リックマンに愛着を感じており、リックマンの没後にBSジャパンにて放送された『大統領の執事の涙』の新録版で演じた際の打ち上げでは「私がアラン・リックマンを吹き替えるのもこれで最後かな…」と語り、周囲は思わず涙が出そうになったという[20]。
なお、日本における「スネイプ先生のものまね」は原語版のリックマン本人の声ではなく、吹き替え版の土師の声を真似ているパターンが人気を集めることが多い[21]。
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参照
外部リンク
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