Loading AI tools
ウィキペディアから
『とんぼ』は、1988年10月7日から同年11月25日まで、TBSで放送されていたテレビドラマである。放送時間は、毎週金曜21:00 - 21:54(JST、第1回のみ、21:00 - 22:24)。全8回。長渕剛の5作目の主演連続テレビドラマ作品。第7回向田邦子賞受賞作品。
ヤクザである主人公の小川英二と所属組織である八田興業との抗争を描いた作品であり、現代社会における無関心な状況に対し問題提起した内容となっている。妹のあずさ役として仙道敦子、恋人役として秋吉久美子が出演している他、弟分として哀川翔が出演しており、本作で実質俳優初挑戦となった哀川は以降本格的に俳優業に乗り出すことになった。
スタッフはテレビドラマ『親子ジグザグ』(1987年)から引き続きプロデューサーは柳井満、脚本は黒土三男が担当している。本作は長渕と黒土の会話の中から着想された作品であり、随所に長渕自身によるアイデアが採用されている。ヤクザが主人公である事や、一部の過激な描写を巡ってプロデューサーと長渕、黒土は対立する事となるも、黒土による「見てくれる人たちこそ喜ばせたい」との信念から当初の予定通りに収録が行われた。しかし、後年プロデューサーの柳井は対立があった件を否定している[1]。
後に本作の主要キャストが出演した映画『オルゴール』(1989年)が公開された。また、本作の続編としてフジテレビ系テレビドラマ『英二ふたたび』(1997年)がスペシャル番組として放映された他、映画『英二』(1999年)が公開された。
家族、親子を描いたドラマに出演していた長渕が、ヤクザが主人公という新しいテーマに挑んだ、人間愛を根底にした骨太のドラマであり、本作の主演を果たしたことによって役者・長渕剛がカリスマ性を有するに至った作品[2]。ヤクザの主人公が不愉快なこと、間違っていることに対し真正面からぶつかっていく姿、激しい生きざまを通して、男の美しさ、悲しさが描かれている[3]。過激な暴力シーンなどゴールデンタイムにはそぐわない内容だったが、当時長渕剛が人気絶頂だったこともあり、平均約18%と高視聴率を記録した。
英二が本作で乗っていた車、メルセデス・ベンツ500SELのナンバーは『品川33 や 893(ヤクザ)』だったことも話題となった。
1989年8月に双葉社より、本作のシナリオ本が出版されたが、一部に放送作品とは異なる場面がある。
2006年にはDVD-BOXの発売が予定されていたが、制作・発売元であるTBSにより発売中止とすることが決定された(理由については不明)[4]。
2019年6月21日、長渕剛公式LINEアカウントにて同年9月21日に発売中止になっていたDVD-BOXとBlu-rayBOXの発売が発表された。7月5日には各種メディアにて正式にDVD-BOXとBlu-rayBOXの発売が発表された[5][6][7]。また、同日にはTBS系バラエティ番組『ぴったんこカン・カン スペシャル』において、DVD-BOXとBlu-rayBOXの発売を記念したスペシャル企画が放送され、主演の長渕の他、哀川翔、仙道敦子、石倉三郎などが出演し、製作当時の状況などを語った[8]。なお、ソフト化にあたって劇中でカーラジオから流れるサザンオールスターズの楽曲「みんなのうた」(1988年)は長渕の楽曲「巡恋歌」(1978年)に差し替えられた。
2年の刑期を終え、出所した暴力団八田組の若頭・小川英二。しかし、出迎えに来たのは舎弟分の水戸常吉だけだった。
英二が服役中に、さまざまな問題が起きていた。妹・あずさは勝手に大学を中退して喫茶店で働いていたり、恋人・夏実は英二が刑務所に入ってすぐに他の男と付き合っていた。また英二は刑務所の中で八田組のさまざまな裏事情を握っていた。英二の下克上を恐れた組長・八田昇は英二を始末しようと企んでいた。そんな中、あずさの働く喫茶店のオーナー・波子と出会い、波子は英二に想いをよせていき、また英二も波子のことを気になりかけていた。
本作は『うさぎの休日』(1988年)で脚本を務めた黒土三男と長渕が、伊豆のロケ帰りの車の中で「日常生活では頭にくることがいっぱいあるけど、面と向かってはなかなか言えない。ケンカもしたくない。でも言おうよ」といった会話から生まれた作品である[3]。着想の原点は「世の中の不条理を究極の形を借りてやっつける」社会派のドラマを長渕が要求したことから始まっている[11]。本作の方が先に放映されているが、『うさぎの休日』の撮影自体は1988年初頭に終わっていた。その伊豆ロケ撮影の帰りの車の中で長渕は黒土と共にヤクザを主人公にする事を決定する[11]。二人の話し合いの中で「原宿あたりのハイカラなやからを"気に入らねぇ"と突っかかる」、「渋滞に巻き込まれた時に"どけや!"と前の車にぶつける」、「交通整理を行う若者には"がんばれよ"とお金を渡す」などのキャラクターイメージが創作された[12]。ヤクザを主人公とした事に関して長渕は、「義理人情がきちんとあるヤクザ、俺らが憧れたヤクザだな。(中略)そういう必要なヤクザに、不条理をぶった斬ってもらいたかった」、「筋が一本通ってる親分。どちらかというと俺らの味方、弱い者の味方のヤクザを作ろうやと。業界も社会も日本もぶっとばせっていう気持ちで作ったのは確か」と語っている[13]。
当初の企画書の段階では「田舎から出て来た若者が、東京でさまざまな事件に遭遇して、成長していく」としか書かれておらず、主人公がヤクザである事は伏せられていた[14]。プロデューサーの柳井満と長渕とのドラマは既に4作品制作されているという実績から企画が通る事は確実視されていたが、ほとんどのスタッフが主人公がヤクザである事を知らない段階であった[14]。本作は黒土とテレビ局のプロデューサーである柳井とで志向が全く異なっていたため、最初から対立する形となり、困難な状態から制作が開始された[15]。しかし、長渕は「本当のドラマを本気で創ろう」との意気込みで、テレビドラマとしての規制など考慮せず、この作品でテレビ局から出入り禁止になったとしても構わないとのスタンスで臨んでいた[13]。長渕は柳井に対して感謝の念があったものの、テレビ業界の点数至上主義に対する嫌悪感から変革を求めて主張を通す事を決定した[16]。
黒土はプロデューサーの意見に全く耳を貸さず、自身の信念を貫く形で制作を続けた[15]。通常は脚本が出来上がった段階でプロデューサーとの間で打ち合わせを行う所が、本作ではそれが困難なため、黒土は主演の長渕との間で打ち合わせを行っていた[15]。テレビ局側はこの姿勢に対し不快感を示していたが、結果として黒土は最後までこのスタイルでドラマ制作を進行した[15]。本作に関し黒土は「『とんぼ』では、彼(長渕)の作家としての豊かなイマジネーションが脚本の随所に秘められている。それは私とのキャッチボールの中で、互いの殴り合わんばかりの闘いを繰り返しながら、苦しみ生まれ出たものである」と語っている[15]。プロデューサーの柳井は現場を離れる事となり、演出家の大岡進がドラマの制作を推奨したために本ドラマは実現する事となった[17]。しかし、柳井曰く本ドラマは本来4月に放送される予定だったが長渕側がその時期に別の仕事を入れてしまい、そちらを優先させた事から10月に延期になり、その時期は『3年B組金八先生』(1979年 - 2011年)の放映が重なっており、柳井は2本同時にプロデュースする事で多忙のために現場に赴く時間がなかったと述べている[18]。通常は主演俳優と美術部が接触する機会はない事が多いが、美術スタッフは判断に困った際に長渕に相談していた[10]。また長渕が突然発する荒唐無稽なアイデアにもスタッフは一丸となり要求に応えていたという[10]。
タイトルバックで海の中から現れるシーンのアイデアは長渕によるものであり、フロットコート、山高帽、コウモリ傘という装飾は全て長渕が自前で用意したものである[19]。第一回の冒頭の刑務所のシーンは同局のテレビドラマ『塀の中の懲りない面々』(1987年 - 1990年)のために製作された刑務所のセットを使用している[19]。また同じ回の暴力シーンでは殺陣師を用意したものの、長渕は殺陣師のアクションに異論を唱え、自ら「蹴った勢いで自分が倒れるくらい、ふらふらしながら蹴る」という演技を行った[14]。殺陣師は「やり過ぎだ」と否定したものの、長渕は「いま気持ちが高ぶっていて、こういうふうにしかできない」と殺陣師を説得した[14]。第六話の英二が直の耳を切り落とすシーンに関しては、前日に長渕から大岡に対して「耳を用意してくれ」と要求があり、理由を尋ねると「チンピラが生意気なことを言うから耳をきる」、「そうしないと、俺が収まらない」と長渕は答えたが、大岡はこれを拒否し電話を切った[20]。しかし、十分程後に再度長渕から電話があり、「耳を切らなきゃダメなんだ」との要求があった事から大岡は急いで美術スタッフに連絡し用意させたという[20]。このシーンの影響でスポンサーが降板する可能性を恐れ、営業担当者はスポンサーに完パケを渡さず、後にスポンサーより「今度こういうシーンがあったら降りる」と苦情が来た事が判明している[10]。しかし柳井は本ドラマに関して「社内的に『とんぼ』はまったく問題のなかった作品です。放送前に『今度のドラマの内容は大丈夫か?』なんて訊かれるようなことはなかったし、放送してからもなにも言われませんでした。放送後にもなし。これが事実です」と述べている[1]。
第八回ラストシーンの英二がナイフで刺され血まみれになりながら足掻いているシーンに関して、長渕からの要望は「刺された数だけ血が出るはずだ」、「たばこを吸いたい」の2点であった[21]。このシーンはすべて長渕のアドリブによる演技であり、リハーサルもなく一発撮りで撮影が行われた[21]。長渕自身も英二になり切っており、「本気で死ぬ」と思って演技をしていた[22]。また、撮影だという事に気づかず途中で警察のパトカーが来たために車両部のスタッフが必死で警察を止めていたという[22]。
哀川が水戸常吉役に決まった経緯にはお笑いタレントの勝俣州和が関係している[23]。矢沢永吉のファンであった哀川から哀川の自宅でキャロルの解散ライブ・ビデオ『燃えつきる キャロル・ラスト・ライブ』(1984年)を観せられた勝俣は、矢沢ファンではないため無関心な様子であった事から哀川に「なんなんだよお前」と言われ、それに対して「実は長渕剛ファンなんです。最近出た『LICENSE』というライブビデオがあるんで、自分はキャロルのビデオを観るんで、翔さんはそのビデオを観てください」との交換条件を出した[23]。勝俣はその後哀川に対してビデオを鑑賞したか確認するも、数度に亘り「観てない」と答えた哀川であったが、後日長渕主演の本作が製作されると発表されたときに、弟分役が哀川だと知って驚いたという[23]。後に勝俣が哀川に尋ねると、長渕のビデオを観て感動した哀川はその勢いで武道館コンサートを一人で観覧した所、長渕の妻である志穂美悦子に促されて長渕の楽屋を訪れる事となり、弟分役を誰にするか決めかねていた長渕は哀川を見て「ツネが来た!」と感じた事からその場で哀川が水戸常吉役に決定したという[23]。
話数 | サブタイトル 放送回 | 放送日 | 演出 | 視聴率[24] |
---|---|---|---|---|
1 | 「アニキが帰ってきた街」 | 1988年10月7日 | 大岡進 | 16.4% |
2 | 「いつかの少年」 | 10月14日 | 大岡進 | 18.2% |
3 | 「ふたりの始まり」 | 10月21日 | 竹之下寛次 | 17.1% |
4 | 「東京のバカヤロー!」 | 10月28日 | 清弘誠 | 16.3% |
5 | 「遠い記憶」 | 11月4日 | 大岡進 | 18.7% |
6 | 「闇の中の光」 | 11月11日 | 清弘誠 | 16.4% |
7 | 「明日なき道へ」 | 11月18日 | 大岡進 | 19.8% |
8 | 「海を見た日に」 | 11月25日 | 大岡進 | 21.8% |
本ドラマの放映後、主人公の小川英二を模倣する若者が多数存在した事に関して長渕は、「"ざまあ見ろ!"って感じだった」と語り、体制に対する戦いが始まったとの感触を得たと述べている[25]。また、長渕本人も撮影が終わった後にも役から抜けられず、周囲のスタッフに対して暴力的になっていたと語っている[25]。さらに、本職のヤクザから「英二さん、カッコいいっすね」と声を掛けられた事もあるという[26]。長渕は撮影後には必ず黒土の家を訪れており、親交を深めていった[26]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.