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日本の漫才コンビ ウィキペディアから
おかけんた・ゆうたは、日本の漫才コンビ。
1981年11月、ゆうたは吉本新喜劇で活動していた岡八郎(当時)に弟子入りし、新喜劇に出演し活動していた。1982年4月、けんたは吉本総合芸能学院1期生に入学し、NSC卒業後はうめだ花月の進行係を務めていた。1983年3月1日に、けんたも岡八郎(当時)に弟子入り、ゆうたとのコンビ「龝山・井元」を結成、同年6月、なんば花月上席「フレッシュコーナー」で初舞台を踏む。
すぐにNSCの初代校長・冨井善則の命名で「きつね・たぬき」となったが岡が反対し、中日劇場に楽屋で酔っぱらった岡が「お前らの名前は「きつねとうどん」や!!」と言われ、「きつね・うどん」となって3度ほど舞台に出るも再び改名することになり、岡の長男と長女の名前を一字ずつ取って「岡けん太・ゆう太」となった。
同世代のダウンタウン・ハイヒール・トミーズらと共に活動し、1986年5月に心斎橋筋2丁目劇場が開場すると、ダウンタウンらと共に同劇場の看板芸人たちで構成される「2丁目探検隊」のメンバーに選ばれた。
1987年4月にスタートした、毎日放送の夕方帯番組「4時ですよーだ」にレギュラー出演し人気を獲得。1989年9月、ダウンタウンの東京進出に伴い番組が終了した後は、2丁目劇場を卒業してなんばグランド花月などを本拠地にし、舞台を中心に活動している。1992年にコンビ名を「岡けん太・ゆう太」から「おかけんた・ゆうた」に改めた。
その後も舞台での漫才を中心に活動し、1999年には上方漫才大賞を受賞。ただ、ゆうたが晩年は体調を崩したこともありコンビとしての活動は2020年頃からほぼ休止状態となり、2023年8月22日にゆうたが死去。その直前である8月15日に行われたライブイベントで久々に漫才を披露したのが最後のコンビ活動となった[2]。
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