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NHKラジオ学校放送(エヌエイチケイラジオがっこうほうそう)は日本放送協会の学校放送ラジオ番組の総称。当時の表記で旧字体の漢字は新字体、歴史的仮名遣は現代仮名遣いで記述する。
番組名 | 放送期間 |
---|---|
大阪中央放送局 学校放送 | 1933年 | 9月 1日 - 1935年4月13日
全国学校放送 | 1935年 | 4月15日 - 1941年3月31日
国民学校放送 | 1941年 | 4月 1日 - 1945年3月31日
ラジオ学校放送 | 1945年10月22日 - 1947年3月 |
番組名 | 対象 | 放送期間 |
---|---|---|
幼児の時間 | 幼稚園・保育所 | 1945年10月 | 1日 - 1969年4月 5日
幼稚園・保育所の時間 | 幼稚園・保育所 | 1969年 | 4月 7日 - 2011年3月26日
小学校の時間 | 小学校 | 1947年 | 4月 - 2014年3月27日
中学校の時間 | 中学校 | 1947年 | 9月 4日 - 1995年3月17日
高等学校の時間 | 高等学校 | 1951年 | 4月 - 1995年4月 1日
NHK高校講座 | 高等学校 | 1953年 | 4月 -
定時制高校の時間 | 高等学校 | 1960年 | 4月 - 1989年4月 1日
ラジオクラブ | 学校長期休暇 | 1950年 | 7月 - 2014年3月27日
ひる休みのおくりもの | 昼休み | 1955年 | 7月 4日 - 1982年4月 3日
番組名 | 放送期間 |
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教師の時間 | 1945年10月22日 - 1953年3月 |
PTAの時間 | 1949年 | 9月 - 1952年9月
私たちのPTA | 1952年 | 9月 - 1953年3月
家庭と学校 | 1953年 | 4月 - 1959年3月
教育相談室 | 1956年 | 4月 - 1962年4月 1日
勉強のさせ方 | 1956年11月 | - 1962年3月30日
教育時評 | 1962年 | 4月 8日 - 1967年4月 1日
放送教育相談室 | 1964年 | 4月12日 - 1982年4月 4日
教育界の話題 | 1967年 | 4月 8日 - 1968年3月31日
教師の時間 | 1968年 | 4月 6日 - 1995年4月 2日
教育ジャーナル | 1995年 | 4月 9日 - 1997年4月 6日
ラジオ黎明期に日本放送協会の社会教育課が担当した児童向け教育番組として『子供の時間』、『コドモの新聞』がある。18時台の放送で学校から帰宅した児童が在宅で聴取する番組だった。
ラジオ受信機の普及台数が50万台を超えた1929年、聴取者の増加で教育番組に対する期待と要望が多くなり、第2放送の増設が認められた。1930年12月10日から始まった第2放送(東京中央放送局)の試験放送では小学生向け教育番組を12:05-12:35に編成したが、1931年4月6日に始まった本放送では、小学生向け教育番組が放課後の時間に変更され、学校放送(学校の授業時間に放送される番組)の実施は見送られた。第2放送の教育番組は義務教育を終えた人のための「普通学講座」や、社会人のための「国民講座」が中心となる。
1931年8月、東京中央放送局ではラジオ受信機を東京市内の300余りの小学校に提供し、3週間にわたって「夏季ラジオ体操の会」を開催。終了後もラジオ受信機をそのまま学校に設置することとなり、学校放送の試験番組を実施することとなった。放送期間は1931年9月2日から9月12日。尋常小学校5・6年を対象にした番組で午前の部が「読本の読み方とお話」、午後の部が関東各府県の歴史に関する「我等の歴史」を放送した。
東京・大阪・名古屋・広島・静岡などの放送局では1932年の夏休みに小学生を対象にした「夏季特別講座」を放送しているが、学校の授業時間に活用される本格的な学校放送はまだ実現していなかった。札幌中央放送局では1932年11月から1年間、小学校5・6年を対象にした講話を毎月2回、12:00-12:30の時間に放送したが、教師用テキストを発行せず、学校に対する予告も不十分であった。
日本放送協会の各中央放送局(現在の拠点局)では、それぞれ自主性を持ち、放送番組においても事業運営においても競争していた。特に東京と大阪のライバル意識は強く、第2放送を野球などのスポーツ中継に活用し始めた東京中央放送局に対し、大阪中央放送局は第2放送の開局と同時に本格的な学校放送を開始しようと計画。1932年8月、奈良女子高等師範学校の西本教授を嘱託として第2放送による教育番組の研究を委嘱した。
1933年6月26日、大阪中央放送局の第2放送が開局。2学期開始の9月1日から日本初の本格的な学校放送が開始される。幼稚園・尋常小学校1年向けの「幼児の時間」は授業時間中に放送されるが、「学校へのラジオ体操」は授業時間前、「学校への音楽」は昼休み、「小学生の時間」と「教師の時間」は放課後に放送された。
1934年1月11日から教師用テキスト「教育放送通信」を毎週木曜日に発行することとなった。逓信省から「教育放送」という名称は文部省を刺激するから改題して欲しいという意見が出され、第6号から「教養講座通信」に改題した。その背景にラジオ放送の教育番組に対する、逓信省と文部省の管轄権問題があり、学校放送の本格実施が遅れた一つの原因になっていた。
1933年4月15日、学校放送の日本全国放送が始まった。当時、東京・大阪・名古屋だけの開局となっていた第2放送ではなく、日本全国同時放送を実現させるため第1放送で放送された。
時間 | 番組枠 | 月曜 | 火曜 | 水曜 | 木曜 | 金曜 | 土曜 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
07:50-08:00 | ラジオ体操 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
08:00-08:10 | 朝礼の時間 | ○ | - | - | - | - | - |
10:10-10:20 | 幼児の時間 | - | ○ | - | - | - | - |
11:00-11:10 | 小学生の時間 | 尋一、二 | - | - | - | - | - |
14:00-14:20 | 小学生の時間 | - | 尋三 | - | 尋四 | - | - |
14:40-15:10 | 小学生の時間 | - | 高一 | 高二 | 尋五 | 尋六 | - |
15:10-15:40 | 教師の時間 | ○ | - | ○ | - | ○ | - |
時間 | 番組枠 | 月曜 | 火曜 | 水曜 | 木曜 | 金曜 | 土曜 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
07:55-08:30 | 朝礼訓話 | ○ | - | - | - | - | - |
09:45-10:00 | 幼児の時間 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
11:00-11:40 | 小学生の時間 | 尋一 | 尋二 | 尋三 | 尋四 | 低学年 | - |
14:00-14:30 | 小学生の時間 | 尋五 | 尋六 | 高等科 | 高等科 | 高学年 | - |
15:30-16:00 | 教師の時間 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | - |
1941年4月1日に施行された国民学校令により、「国民学校放送」に改題、戦争色の濃い放送を行った。
1941年9月2日、文部省は学校放送を正式に教材として公認し、その番組を指定した[2]。
戦況の悪化により、印刷用紙統制によって紙の供給が得られなくなり、1944年3月をもって教師用テキストが休刊。また、放送設備と受信機用の真空管が不足し、現存する真空管の寿命を長持ちさせるため、1945年3月31日をもって「国民学校放送」を休止。代わりに18時台の「少国民の時間」で学校向け番組を代替放送することとなった。
時間 | 月曜 | 火曜 | 水曜 | 木曜 | 金曜 | 土曜 |
---|---|---|---|---|---|---|
07:50-08:00 | 学校向ラジオ体操 | |||||
08:00-08:10 | 朝礼訓話 | - | - | - | - | - |
10:00-10:15 | 幼児の時間 | |||||
11:00-11:20 | 一年生 の時間 | 二年生 の時間 | 三年生 の時間 | 四年生 の時間 | 中学年 の時間 | 低学年 の時間 |
14:00-14:30 | 五年生 の時間 | 六年生 の時間 | 高等科 の時間 | 高等科 の時間 | 高学年 の時間 | - |
16:00-16:30 | 教師の時間 | - |
放送日 | 番組 | 放送者 |
---|---|---|
8日 月曜 | 朝礼訓話 | 文部次官 菊池豊三郎 |
9日 火曜 | 詔書棒読 | 文部大臣 橋田邦彦 |
お話と軍歌「勝利をわれ等に」 | 海軍少将 日暮豊年 | |
教師の時間「戦時の国民教育」 | 文部大臣 橋田邦彦 | |
10日 水曜 | 朗読と劇「軍旗」 | 東京赤羽国民学校 児童 |
教師の時間「戦時教育資料の解説」 | ||
11日 木曜 | 朗読と軍歌「心は躍る・萬歳」 | 南啓治 |
戦時下職業戦士の心構え | 谷野厳 | |
教師の時間「戦時の国民教育」 | 東京文理科大学学長 河原春作 | |
12日 金曜 | お話「日本のこども心は一つ」 | 金沢嘉市 |
戦線地理「ハワイとマレー半島」 | 岡川曲治 | |
教師の時間「戦時の国民教育」 | 東京帝国大学助教授 海後宗臣 | |
13日 土曜 | 学校新聞 | |
15日 月曜 | 朝礼訓話 | 海軍中将 出光万兵衛 |
お話と音楽「ツヨイ日本兵タイサン」 | 白倉文伴 | |
朗読「海の荒鷲」 | 南啓治 | |
教師の時間「戦時の国民教育」 | 伯爵 二荒芳徳 | |
16日 火曜 | 勇ましい音楽 | 東京子供唱歌隊 |
お話「戦はんかな時いたる」 | 上田俊次 | |
教師の時間「戦時の国民教育」 | 帝国教育会理事 大島正徳 | |
17日 水曜 | 朝礼訓話 | 海軍中将・子爵 小笠原長生 |
お話「敵前上陸」 | 陸軍少佐 山口達春 | |
綴方発表「その日の感激」 | 国民学校児童5名 | |
教師の時間「戦時に於ける芸能科教材の取扱」 | 文部省図書監修官 角南元一 | |
18日 木曜 | お話「航空母艦の活躍」 | 海軍大尉 木場一丸 |
お話「大東亜戦争と少国民の覚悟」 | 鶴見祐輔 | |
教師の時間「戦時に於ける国民科国語教材の取扱」 | 文部省図書監修官 松田武夫 | |
19日 金曜 | お話「海軍大将のお母さん」 | 久留島武彦 |
戦線地理「グアム島」 | 山下正雄 | |
教師の時間「戦時の国民教育」 | 東京高等師範学校教授 石山脩平 | |
20日 土曜 | 朝礼訓話 | 男爵 大蔵公望 |
学校新聞 | ||
22日 月曜 | お話「ありがとう兵隊さん」 | 小栗吉郎 |
朗読「少年航空兵の手柄」 | 海野アナウンサー | |
教師の時間「戦時の国民教育」 | 理学博士 仁科芳雄 | |
23日 火曜 | 朝礼訓話 | 陸軍大将 林銑十郎 |
音楽「みくにの光」 | 東京葛飾国民学校 児童 | |
お話「強く明るく」 | 文部省図書監修官 倉野憲司 | |
教師の時間「戦時の国民教育」 | 東京府青山師範学校教諭 草場弘 |
終戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の民間情報教育局(CIE)の指導、民間検閲支隊(CCD)の検閲下で学校放送の再開が検討され、1945年10月22日から教師向け番組、1945年12月3日からは児童向け番組が再開された。
当時の学校制度では国民学校のままであったが、終戦後の学校放送再開とともに、番組名から「国民」が外れ、「ラジオ学校放送」としていた。また、国民学校高等科(現在の中学校1年 - 2年)を対象にした番組名が「高等科の時間」(1945年12月 - 1946年3月)→「中等科の時間」(1946年4月 - 12月)→「中等高等科の時間」(1947年1月 - 3月)と短期間に改題されていた。
時間 | 月曜 | 火曜 | 水曜 | 木曜 | 金曜 | 土曜 |
---|---|---|---|---|---|---|
10:15-10:30 | 低学年 の時間 | 二年生 の時間 | 三年生 の時間 | 一年生 の時間 | 二年生 の時間 | 三年生 の時間 |
11:00-11:30 | 四年生 の時間 | 高学年 の時間 | 五年生 の時間 | 高学年 の時間 | 六年生 の時間 | 中等科 の時間 |
15:30-16:00 | 教師 の時間 | - | 教師 の時間 | - | 教師 の時間 | - |
1947年4月の学制改革により、1947年度1学期から小学校向け、2学期から中学校向けの番組が開始された。1947年度2学期から1948年度1学期にかけて一教科集中編成を実施した後、1948年度2学期より本格的な学校放送を再開することができた。
時間 | 10:15-10:30 | 11:00-11:30 | 15:30-16:00 |
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枠 | 小学校の時間 低学年 | 小学校の時間 高学年 | 教師の時間 |
月曜 | 私たちの新聞 各国児童の音楽 | 教材に関連あるもの 4年 | 論文・研究発表 |
火曜 | 教材に関連あるもの 2年 | 最近のできごと 時事問題の解説 | - |
水曜 | 教材に関連あるもの 3年 | 教材に関連あるもの 5年 | 教授法に関係あるもの |
木曜 | 教材に関連あるもの 1年 | 討論 | - |
金曜 | 教材に関連あるもの 2年 | 教材に関連あるもの 6年 | 教養に資するもの |
土曜 | 教材に関連あるもの 3年 | デモクラシーの勉強 | - |
時間 | 月曜 | 火曜 | 水曜 | 木曜 | 金曜 | 土曜 |
---|---|---|---|---|---|---|
10:15-10:30 | 一年生 の時間 | 低学年 の時間 | 二年生 の時間 | 低学年 の時間 | 三年生 の時間 | 低学年 の時間 |
10:45-11:00 | ニュース(学校放送) | |||||
11:00-11:30 | 四年生 の時間 | 五年生 の時間 | 六年生 の時間 | 七年生 の時間 | 八年生 の時間 | 九年生 の時間 |
15:30-16:00 | 教師 の時間 | - | 教師 の時間 | - | 教師 の時間 | - |
一教科集中編成
|
学校放送は急速に発展し続け、番組数と総放送時間の増加でNHKラジオ第1放送の一般番組の放送枠を圧迫するまでになった。そこで学校放送番組をNHKラジオ第2放送に移行させる計画が進められる。試験的に1950年4月から学校放送の再放送が第2放送で開始されるが、NHK局内や学校関係者から次のような反対意見が出される。
それらの不安を解消するため、学校放送番組の質的量的の充実、第2放送の未開局地域は札幌・秋田・東京・大阪・熊本の大出力局を受信することの周知徹底を実施。1953年4月、NHKラジオ第2放送への完全移行が実施された。
時間 | 月曜 - 金曜 | 土曜 |
---|---|---|
08:15-08:30 | 学校向けラジオ体操と音楽 | |
08:45-08:55 | 学校新聞 | |
08:55-09:00 | 今日の学校放送 | |
09:00-09:15 | 小学校の時間 ラジオ音楽教室・ラジオ国語教室 | |
09:15-09:30 | 小学校の時間 ラジオ国語教室・ラジオ音楽教室 | |
10:00-10:15 | 小学校の時間 低学年 | |
10:15-10:30 | 小学校の時間 中学年 | |
10:30-10:45 | 小学校の時間 高学年 | |
10:45-11:00 | 中学校の時間 | |
11:00-11:15 | 小学校の時間 低学年・中学年(再放送) | |
11:15-11:30 | 小学校の時間 高学年(再放送) | |
11:30-11:45 | 中学校の時間(再放送) | |
11:45-12:00 | 高等学校の時間 | |
13:00-13:15 | 中学校の時間 ラジオ英語教室・ラジオ音楽教室 | - |
18:30-18:45 | 家庭と学校 | - |
1947年9月から1948年7月までは小学校高学年の番組枠を間借りしており「七年生の時間」「八年生の時間」「九年生の時間」の番組名で放送していた。1948年9月から1951年3月まで中学校・高等学校向けの「中等高等学校の時間」として放送した後、1951年4月から独立番組枠「中学校の時間」が開始された。
学校放送の中学校向けラジオ番組で学校利用率が最も高かったのは道徳番組であり、1995年3月の中学校向けラジオ番組廃止まで放送し続けた。
『(夏・冬・春)のラジオクラブ』は1950年7月から2014年3月まで、学校の夏・冬・春休み期間中にNHKラジオ第2で放送されていたラジオ番組。
対象番組枠は幼稚園・保育所の時間、小学校の時間、中学校の時間、高等学校の時間、教師の時間。
学校放送の集中再放送のほかに、通常番組の夏休み特別編(『かんちゃんのえにっき』→『かんちゃんの夏休み』、『健三の日記』→『健三の夏休み』など)も放送していた。
小中学校の昼食時に音楽を流し休憩時間に楽しく過ごしてもらうためのラジオ番組。NHK全国学校音楽コンクールの課題曲指導や全日本学校関係緑化コンクールの入選作文などを紹介した。
番組名 | 期間 | 放送時間 |
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PTAの時間 | 1949年9月 - 1951年3月 | 木曜15:30-16:00 |
1952年9月 - 1952年9月 | 火・木曜14:00-14:15 | |
私たちのPTA | 1952年9月 - 1953年3月 | 木曜14:00-14:15 |
番組内容は保護者と専門家の座談会や対談。1950年度は「虎の門小学校PTA」という架空のPTAを舞台にしたドラマを通して正しいPTAの在り方を紹介した。その他「ラジオPTA新聞」「地方PTAだより」などの企画を放送。
1952年9月、『私たちのPTA』に改題。1953年4月から『教師の時間』と統合され『家庭と学校』に改題して、NHKラジオ第2放送へ移行。
期間 | 放送時間 |
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1953年 | 4月 - 1953年10月平日18:30-18:45 |
1953年11月 - 1954年10月 | 平日21:00-21:15 |
1954年11月 - 1955年 | 3月日曜10:00-10:30 |
1955年 | 4月 - 1956年 3月土曜23:00-23:30 日曜08:30-09:00 |
1956年 | 4月 - 1957年 3月日曜08:30-09:00 |
1957年 | 4月 - 1957年10月土曜18:30-19:00 |
1957年11月 - 1959年 | 3月日曜08:30-09:00 |
1953年3月までの放送されていた『教師の時間』と『私たちのPTA』を統合して改題した教員と保護者向け番組。後継番組は『教育相談室』。
期間 | 放送時間 |
---|---|
1956年 | 4月 - 1956年10月金曜19:00-19:30 |
1956年11月 - 1957年 | 3月土曜20:05-20:30 |
1957年 | 4月 - 1959年 3月金曜19:00-19:30 |
1959年 | 4月 - 1960年 3月日曜08:00-09:00 |
1960年 | 4月 - 1962年 4月日曜08:00-08:30 |
期間 | 放送時間 |
---|---|
1956年11月 - 1957年10月 | 平日16:00-16:30 |
1957年11月 - 1961年 | 3月平日17:00-17:30 |
1961年 | 4月 - 1962年 3月金曜17:00-18:00 |
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