隆岩寺 (古河市)
茨城県古河市にある寺院 ウィキペディアから
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隆岩寺(りゅうがんじ)は、茨城県古河市中央町(田町)にある浄土宗の寺院。正式には、山号を大蓮山、院号を潮雲院、寺号を隆岩寺という。[1]
隆岩寺 | |
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所在地 | 茨城県古河市中央町1-7-39 |
位置 | 北緯36度11分48.1秒 東経139度42分05.7秒 |
山号 | 大蓮山 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
創建年 | 文禄4年(1595年) |
開山 | 岌道上人 |
開基 | 小笠原秀政 |
正式名 | 大蓮山 潮雲院 隆岩寺 |
文化財 | 小笠原貞慶の供養塔(市指定・史跡)他 |
法人番号 | 2050005005731 |
安土桃山時代の文禄4年(1595年)、古河城主・小笠原秀政が正室の父・松平信康を弔うために開基した。開山は岌道上人による。松平信康は徳川家康の長男だったが、武田勝頼との内通を疑われ、織田信長の命により自害・非業の死を遂げていた。明和4年(1767年)、火災にあい、のちに再建されている。[1] [2][3]
鐘楼、呑龍堂がある。また福寿稲荷神社が隣接している。
呑龍堂は大正14年(1925年)、群馬県太田市・大光院の呑龍様を勧請したものである。隆岩寺21世・伊藤霊誠上人が大光院を開山した呑龍上人を厚く崇敬したことによる。子育呑龍とも呼ばれ、子供の無事成長を祈願した。[4][2]
隣接する福寿稲荷神社は、明治8年(1875年)ごろまで隆岩寺の守護神であった。豊宇気毘売命を祭神とし、天正年間(1573年〜1579年)創建と伝わる。小笠原秀政に厚く信仰され、その祈願所となった。[5][6]
隆岩寺には、山がら塚と呼ばれる異形の墓がある。昔、山がらをめぐって争いになった若い武士が斬り合いを始めた。殿様の命令もなく勝手な振る舞いをしたので、「生涯大いに切りあえ」と言われ、墓地に深い穴が掘られて、二人とも刀を持ったまま生き埋めにされてしまった。それからは月の良い丑三つ時に、この塚から刀で切り合う音がすると言い伝わる。また、『古河志』には、地元の伝承として、古河城主が本多忠良の頃(正徳2年(1712年)〜宝暦元年(1751年))、ある藩士が山がら捕りのことでけんかになり、数人を殺して、自らも自害して果てたため、この人々を合葬したと記されている。[7][2]
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