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日本の女優 ウィキペディアから
轟 悠(とどろき ゆう、8月11日[1][2] - )は、元宝塚歌劇団専科の男役[3][4][5][1][6][7][2]。元劇団特別顧問[3][4][5][1][6][7]。元雪組トップスター[3][5][1][6][7]。
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熊本県人吉市[8][1][2]、人吉市立第一中学校出身[9][2]。身長168cm[2]。愛称は「イシサン」、「トム」[2]。
1985年、宝塚歌劇団に71期生として入団[3][4][5][10][1][6][9][2]。花組公演「愛あれば命は永遠に」で初舞台[10][8][1][6][2]。その後、月組に配属[10][8][6][2]。
1988年7月1日付で雪組へと組替え[10][8][6][2]。
1989年の「ベルサイユのばら」で新人公演初主演[11][10][8]。その後も5度に渡って新人公演主演を務める。
1992年の「恋人たちの神話」でバウホール公演初主演[10][8]。
1994年の「風と共に去りぬ」で、レット・バトラーを始め3役を役替わりで演じる[2]。
1996年の「エリザベート」日本初演では、ルキーニ役に抜擢[2]。
1997年7月31日付で雪組トップスターに就任[3][4][5][10][1][6][2]。相手役には前任より引き続き花總まりを迎え、「真夜中のゴースト/レ・シェルバン」でトップコンビ大劇場お披露目[12][10][8]。同公演をもって、花總が新設された宙組へ異動となり、月影瞳を2人目の相手役に迎える[13]。同年の「春櫻賦/LET'S JAZZ」で新トップコンビ大劇場お披露目[13]。
1998年の「THE FICTION」(バウホール公演)で、宝塚歌劇史上初めてとなる一人芝居を上演[14][10]。12役を演じ分ける[10]。
2000年、「凱旋門」での演技が評価され、文化庁芸術祭賞の演劇部門優秀賞を受賞。
2002年2月12日付で、「春日野八千代のような存在に」と請われて[5]専科へと異動[3][4][10][1][6][2]。同年の「風と共に去りぬ」(日生劇場公演)に主演し、菊田一夫演劇賞ならびに日本映画批評家大賞ミュージカル大賞を受賞[2]。
2003年6月14日付で劇団理事に就任[3][4][5][10][1][6][9][2]。理事就任後も各組へ主役級で特別出演を続ける[5]。
2020年7月18日付で理事を退任し、劇団特別顧問に就任[5][3][4][1][9][2]。現役生徒の特別顧問就任は松本悠里に続いて2人目となった[3][4]。
リアルな男を感じさせる演技には定評があり、「男役の体現者」として後輩にその姿を見せ、長く劇団の顔として活躍してきたが[5][3][4]、2021年10月1日付で宝塚歌劇団を退団[6][7][9][2]。入団37年目での卒業となった[6][15][2]。
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