襄東会戦
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襄東会戦(じょうとうかいせん)は、日中戦争中の1939年5月1日から5月20日まで、湖北省の襄東地区で行われた日本陸軍と国民革命軍による戦闘である。反攻を企図して集結した中国軍を日本軍が撃滅しようとした。襄東とは、襄河(漢水の別称)以東の地域を指す。作戦名称は「そ号作戦」。中国側の呼称は随棗会戦。
概要 襄東会戦, 交戦勢力 ...
襄東会戦 | |
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![]() 攻撃を仕掛ける中国軍 | |
戦争:日中戦争 | |
年月日:1939年(昭和14年)5月1日 - 5月20日 | |
場所:湖北省、襄東(漢水以東)地区 | |
結果:中國軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
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指導者・指揮官 | |
岡村寧次 | 李宗仁 湯恩伯 |
戦力 | |
3個師団他 | 約30個師 |
損害 | |
戦死:約650人 負傷:約1,800人 歩兵第65連隊の大部分が戦死傷者を出した(補充人員数より推定)[1] |
遺棄死体:約15,000 捕虜:約1,600人 |
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