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イングランドに由来する法体系 ウィキペディアから
英米法(えいべいほう、英語: Anglo-American law, common law)とは、イングランドの国王裁判所及び大法官府裁判所の判例を通じて形成されたコモン・ローとエクイティから成る法体系が、イングランドだけでなく、その支配領域(旧イギリス帝国植民地など)にあった諸地域にも広まったもの。英米法系ともいう。
英米法ないし英米法系とは、イングランド法やニューヨーク州法といった特定の法秩序ないし法体系に着目した概念ではなく、ヨーロッパ大陸諸国の法体系である大陸法系と対比した場合の、複数の国の法体系の共通性ないし類似性に着目して総称した類概念である。
ゲルマン法に由来する中世的慣習法として成立した判例法たるコモン・ローがイングランド法の基礎として発展したことから、イングランド法を基礎とする英米法を指して「コモン・ロー」とも呼ぶ。
英米法は、イギリスの支配下にあった地域の多くにおいて採用されており、アメリカ合衆国の法体系もその1つであることから、「英米法」と呼ばれる。もっとも、アメリカ合衆国は比較的早期にイギリスから分離したため、他の英米法地域と比べて多くの独自性を有する。
イギリス連合王国内のスコットランドや、アメリカのルイジアナ州やアメリカの事実上の植民地であるプエルトリコでは、歴史的経緯から大陸法系あるいは大陸法と混合した法制度が整備されている。また、かつて英国の植民地であった国々の中でも、もとはフランスの植民地だったケベック州や、ポルトガルが植民地化したスリランカや南アフリカ共和国の法制度は大陸法系である。
大陸法系は、ローマ法・カノン法の全面的継受を受けたことから、私法の重要な部分が法律(特に法典)の条文によって規定されるのに対し、英米法系は、中世の英国において、ゲルマン法の一支流であるアングロ・サクソン法を背景として成立した慣習法であり、判例が第一次的法源とされ、司法的である点に基本的な相違点があるとされている。
そこから英米法系は、大陸法系と異なる次のような具体的な特色を有するものとされるが、それは、1066年のウィリアム征服王による封建制の確立から始まる英国の歴史に基づく極めて偶有性の高いものであり、英国法の歴史であるとともに、コモン・ローの歴史そのものでもある。詳細は、それぞれ英国法#歴史、コモン・ロー#歴史を参照。
日本法は、明治期に大陸法を継受したため、信託、陪審、43条、416条等民法の若干の規定を除くほか英米法系に由来する規定はなかった[2]。
第二次世界大戦終結後の連合国軍占領下に公布された日本国憲法は、象徴天皇制や議院内閣制などの規定に英国法の影響を想起させるものもかなりあるが、最高裁判所以下の司法府の規定などにアメリカ合衆国憲法をモデルとしたもの(そもそもアメリカ合衆国は成文憲法発祥の地でもある)であり、これによって日本法はアメリカ法を継受した[3]。その結果、一部の法律が改正がなされて、日本法は英米法系の影響を受けるに至っている。
なお、国会法、皇室典範、内閣法については、共通して立憲君主国である英国法系の新制度に合わせて制定され直した。また、アメリカ法の影響として代表的なものに刑事訴訟法と証券取引法があるが、一方で、財産法や商法、刑法、民事訴訟法など多くの法律は大陸法系であるという状況にある[3]。
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