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大東亜戦争(太平洋戦争・第二次世界大戦)末期の1945年(昭和20年)、帝國陸海軍は海外の占領地や太平洋上の島々を次々と失い、大日本帝國は国家滅亡の危機に立たされた。すなわち同年1月、フィリピンの戦い(陸軍省コードネーム捷号作戦)に敗れ、3月には火山列島の硫黄島で2万人もの兵力が総員玉砕する大惨敗を喫し、4月には沖縄に連合国軍が上陸、沖縄戦がスタートしていた。
大本営は第二次兵備を決定し、すぐそこまで迫っていた本土決戦(陸軍省コードネーム決号作戦、米軍コードネームコロネット作戦)に向けた帝都東京の守りを充実させようとしていた。本軍団はその一環として、茨城県を担当する第51軍、千葉県を担当する第52軍共に同年4月8日付で編制完結。第12方面軍戦闘序列に編入され、先の第一次兵備で編制された沿岸配備師団の第140師団を軍団の隷下に組み込んだ。5月の第三次兵備では、同じく沿岸配備師団の第316師団も隷下に組み込んだ。
本軍団の本陣は、当初神奈川県平塚市の第11砲兵司令部内、ついで中郡伊勢原町に移駐してきた第316師団内に置かれ、本土決戦に突入した場合、アメリカ合衆国陸軍を中心とする連合国軍の関東上陸作戦で適地になると予想された相模湾沿岸の神奈川県湘南地域(三浦半島以西)と静岡県伊豆半島東海岸の守りに備えていた[1]。
ところが同年8月15日、第42代内閣総理大臣鈴木貫太郎がポツダム宣言を受諾して帝国陸海軍は降伏。これを受けて本軍は武装解除させられ、当初の設立目的だった本土決戦で活躍することなく、その任務を終えた。
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