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日本のアマチュア鉱物学者 ウィキペディアから
櫻井 欽一(さくらい きんいち、1912年12月11日[1] - 1993年10月6日[1])は、日本のアマチュア鉱物学者[1]、地球科学者。家業(東京都・神田須田町にある老舗の鳥鍋屋「ぼたん」[2])の傍ら、独学で鉱物学を修めた。理学博士(東京大学・1955年)(学位論文「神奈川県湯河原産沸石類の研究」[3])。1964年紫綬褒章受章[1]。
東京神田下連雀に生まれる[1]。永田町小学校(現:麹町小学校)[要出典]、攻玉社中学校・高等学校[要出典]を経て、1932年専修大学予科修了[1]。1942年東京科学博物館(現:国立科学博物館)嘱託[1]、1950年横浜国立大学非常勤講師(- 1956年)[1]。
1952年には湯河原沸石 (yugawaralite)[4]を、1954年には亜砒藍鉄鉱 (parasymplesite)[5]を新鉱物として記載。1955年東京大学から理学博士を授与される[1]。
1965年に兵庫県生野鉱山で発見された新鉱物が櫻井鉱 (sakuraiite)[6][7]と命名され、1981年に静岡県河津鉱山で発見された新鉱物が欽一石 (kinichilite)[8][9][10]と命名された。この命名より、姓名ともに国際鉱物学連合 (IMA) に承認された鉱物名になった最初の日本人となった[要出典](その後、姓名ともに鉱物名となった人物には、宮久三千年(宮久石、三千年鉱)と逸見千代子(逸見石、千代子石)がいる[要出典])
生涯を通じて日本産鉱物を中心とする日本最大の鉱物コレクションを構築した[1]。そのコレクションは「櫻井コレクション」と呼ばれ[1]、死後、国立科学博物館と神奈川県立生命の星博物館へそれぞれ寄贈された[1]。
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