Loading AI tools
ウィキペディアから
梅村 良澤(うめむら りょうたく、生没年不詳)は、戦国時代の隠士。岸良沢(きし りょうたく)とも。通称、良沢・崖良沢・号名、龍澤。美濃国加茂郡加治田城下の住人。一説には鵜沼城主大沢基康の家臣とも言われる[1]。
永禄8年(1565年)、織田信長が斎藤龍興の美濃侵攻にかかった際、加治田城主佐藤忠能の使者として密かに犬山へ行き、丹羽長秀を介して信長に内通の意を伝えた。喜んだ信長から、兵糧を整えるための黄金50枚を渡された(信長公記)。
良沢自身は内応の働きにより大はさま(関市田原の迫間)150貫文を与えられたという(長谷川文書)[1]。信長がこの地を生涯にわたって扶持したのは、良沢が単に使者を務めたのではなく、積極的に忠能に内通を働きかけたからとも見られる[2]。
永禄10年(1567年)11月15日付けで忠能が龍福寺に宛てた寄進状には、「門前龍沢屋敷」という記述が見られるが、龍沢は良沢の誤記と思われ、良沢は龍福寺の門前に住む商人の隠居といった身分で、漢詩などを嗜んでいた[2]。
また、『言継卿記』によれば、永禄12年(1569年)に山科言継が岐阜に滞在した際、忠能と交流を持ったが、このとき同席した良沢も梅村良沢のことだと思われる[3]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.