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東京都台東区の仏教寺院 ウィキペディアから
東本願寺(ひがしほんがんじ)は、東京都台東区西浅草にある浄土真宗東本願寺派の本山である。本尊は阿弥陀如来。単立宗教法人であり、正式名は「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」[1](英: Jodoshin sect Higashi-honganji-ha Higashi-honganji)。
東本願寺 | |
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所在地 | 東京都台東区西浅草一丁目5番5号 |
位置 | 北緯35度42分42.5秒 東経139度47分22秒 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 浄土真宗東本願寺派 |
寺格 | 本山 |
本尊 |
阿弥陀如来 (東京都指定有形文化財) |
創建年 | 1651年(慶安4年) |
開基 | 教如 |
正式名 | 浄土真宗東本願寺派本山東本願寺 |
別称 | 浅草本願寺、浅草門跡、東京本願寺 |
文化財 | 絹本着色親鸞上人絵伝、銅鐘、等 |
公式サイト | 浄土真宗東本願寺派本山東本願寺 |
法人番号 | 5010505000448 |
1651年(慶安4年)、東本願寺第12世教如が神田に江戸御坊光瑞寺を建立したのを始まりとし、その後、京都の東本願寺の掛所(別院)となった。
1657年(明暦3年)、明暦の大火により焼失し、浅草に移転。「浅草本願寺」・「浅草門跡」と称されるようになり、21の支院と35の塔頭を抱え、境内は1万5000坪に及んだ。その伽藍は、江戸後期の天保年間に出版された浮世絵師・葛飾北斎の連作『富嶽三十六景』に「東都浅艸本願寺」として描かれている。
1868年(明治元年)には、渋沢成一郎や天野八郎などの旧幕臣ら百数十名により、大政奉還後、上野寛永寺に蟄居していた徳川慶喜の擁護を目的とする「彰義隊」が結成され、その拠点となった。
1875年(明治8年)、明治天皇の臨幸のもと、日本で最初に開かれた「地方官会議(知事会議)」の議場に使用される。
1894年(明治27年)、日清戦争に際し俘虜収容所となり、清国捕虜179名を収容。僧侶・小栗栖香頂は、毎月彼らに中国語で説教した。
1914年(大正3年)、第一次世界大戦に際し再び俘虜収容所となり、ドイツ捕虜計314名を収容。収容所長・西郷寅太郎。翌1915年(大正4年)、収容所は千葉県習志野に移転。
1923年(大正12年)9月1日、関東大震災により本堂等を焼失。
1939年(昭和14年)、焼失した本堂を鉄筋コンクリート造りで再建する。
1945年(昭和20年)、空襲により本堂内部を焼失する[2]。
1953年(昭和28年)、焼失した本堂内部を再建し、荘厳が整う。
1965年(昭和40年)5月に「浅草本願寺」から「東京本願寺」へと改称する[3]。
1981年(昭和56年)6月15日に、東京本願寺は東京都知事の認証を得て独立し、真宗大谷派との包括関係を解消する。真宗大谷派からの独立・包括関係の解消は、お東騒動を発端とする。
1988年(昭和63年)2月29日に、東京本願寺と賛同寺院により「浄土真宗東本願寺派」が結成され、東京本願寺が本山と定められる[4]。
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