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奈良県奈良市にある神社 ウィキペディアから
手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)は、奈良県奈良市にある神社。旧社格は県社。手向山神社とも。奈良市街東部の手向山麓に位置。東大寺大仏殿前の道を東に行った正面に位置し、すぐ北には東大寺法華堂(三月堂)がある。手向山は紅葉の名所として知られ、古今和歌集では菅原道真が「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」と詠んでいる。
天平勝宝元年(749年)、東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の鎮守神として勧請された。当初は平城宮南の梨原宮に鎮座したという。梨原宮の所在地は未詳だが、奈良市役所近くにある平城京左京三条二坊宮跡庭園がその跡ともいわれる。後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座したが、治承4年(1180年)の平重衡による南都焼討で焼失する。
文治4年(1188年)に東大寺大勧進職の重源によって仮殿が建てられ、建久8年(1197年)に社殿が再建される。その後、建長2年(1250年)に北条時頼によって境内地が東大寺千手院の跡地である現在地に移された。
創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきたが、1871年(明治4年)の神仏分離の際に東大寺から独立し、県社に列せられている。また、東大寺塔頭の東南院(現・本坊)にあった東照宮は天皇殿とされ、東照宮の社殿と祭神は当社に移された。
典拠:2000年までの指定物件については『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
なお、東大寺勧進所八幡殿にある木造僧形八幡神像(快慶作、国宝)は、もと手向山八幡宮にあり、明治の神仏分離の際に東大寺に移されたものである。
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