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日本のジャズミュージシャン、作詞家、作曲家、編曲家 (1931-1990) ウィキペディアから
平岡 精二(ひらおか せいじ、1931年8月13日 - 1990年3月22日)は、日本の演奏者、ソングライター、編曲家である[1][2]。日本作曲家協会会員[1]。
1931年(昭和6年)8月13日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる[2]。実業家であり三味線奏者で東明節(とうめいぶし)の創始者として知られる、平岡凞こと初代平岡吟舟(1856年 - 1934年)の孫であり、凞の次男、二代目平岡吟舟(本名・平岡次郎)の次男である[1]。シロフォン奏者・平岡養一(1907年 - 1981年)、フィギュアスケーター・平岡露子(1913年 - 2012年)の兄妹は父のいとこであり、「養一の長男」[2]とするのは誤り[1]。初代東明柳舟(本名・高橋楊子、1882年 - 1949年)は、凞の次女であり、精二からは伯母に当たる[1]。
幼少期、木琴を習い、第二次世界大戦後、青山学院高等部在学中の15歳のころ、村上一徳(1913年 - 1963年)による「村上一徳とサーフライダーズ」に参加、プロとしてデビューする[1]。1951年(昭和26年)、ゲイ・セプテットに加入[1]、1954年(昭和29年)、青山学院大学経済学部を卒業し[1]、ヴィブラフォン奏者として一本立ちする[2]。1956年(昭和31年)6月、「平岡精二カルテット」を結成、その後、「平岡精二シックステット」に発展、「平岡精二クインテット」を結成する[1][2]。渋みのある音色、抑揚の激しい歌で人気を博す。トランペット、アルト・サクソフォーン、マリンバなども演奏する。1958年(昭和33年)、ペギー葉山に『爪』を提供(本作は1964年(昭和39年)に再録音された)。1964年(昭和39年)、青山学院を舞台としたペギー葉山の代表曲『学生時代』を作詞・作曲・編曲、「平岡精二クインテット」が演奏した。山下毅雄の映画音楽等でマリンバを多く演奏したのが、平岡である[1]。山下と出逢うきっかけは、親戚の養一の家の近くに山下が住んでいたことだという[1]。
クレジットは「音楽」である[1]。
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