小山田 大(こやまだ だい、1976年8月23日 - ) は、鹿児島県姶良市(旧:姶良郡蒲生町)出身の日本のプロフリークライマー。身長165cm、体重58kg。近年特にボルダリングの分野においてThe Wheel of Lifeの初登、Dreamtimeの再登などの成果を残しているが、ルートクライミングにおいてもAction Directeの再登などオールラウンドな力を持ち、世界のトップクライマーの一人である。[1]
日本における高難度課題の開拓だけでなく、積極的に海外の有名ボルダー課題の再登にも取り組み成果を残し、世界からも高い評価を受けている。[1]
- 1991年、15歳のとき、地元の山岳会との遭遇をきっかけに独学でクライミングを始める[2]。
- 1995年、高校卒業と同時にクライミングが盛んな欧州へ渡る。経験を積むため、「やるからには一流にならないと意味がない」と思い立った。[2]
- 1996年、帰国後に臨んだ全日本選手権・東京有明大会で、当時トッププロとして独走していた平山ユージ相手に優勝を果たす。これをきっかけに世間に名が知れわたる[2]。
- 2004年5月、オーストラリア・グランピアンズにて世界最難ボルダー課題(The Wheel of Life・V16[※ 1])初登。11月、スイス・クレシアーノにてヨーロッパ最難課題のひとつ(Dreamtime[※ 2]・当時V15(現在V14))を2日間(当時の世界新記録)で再登。
- 2009年1月、鳳来にて国内最難ボルダー課題(エピタフV15[※ 5])初登。「10手以内の純粋なボルダーとしては国内最難」とコメント。
- 2009年12月5日、横浜市都筑区佐江戸町(最寄駅:JR横浜線鴨居駅)に小山田大総合プロデュースによるクライミングジム"プロジェクト"がオープン。
- 2010年5月13日、スイス・クレシアーノにてStory of Two Worlds(V16?)を第2登。この課題はデイヴ・グラハムが2004年に初登して以来、数々のトップクライマーの挑戦を跳ね除けてきた課題で、オリジナルグレードはV15(「新しいV15のベンチマークとする」とコメント)だったが、そういった経緯でV16にアップグレードされた。ダガー(V14)のシットスタートで、ダガーの前半によりハードな7手のV14が加わる課題。小山田自身は「感覚だとV15/16かV16」とコメントした。
- また、小山田はこのツアーでthe Dagger(V14)、remembrance of things past(V14)、from shallow water to river bed(V14)、new base line(V14)、doctor pinch(V12・フラッシュ)等、驚異的な成果を上げている。
- 2016年10月30日、9月中旬から滞在していたドイツのフランケンユーラにて corona (9a+/5.15a) を完登。
- このツアーでは the essential、the elder statesman、the house of shock、unplugged と 4本の 9a(5.14d) も完登している[3]。
- 2017年4月4日、下呂・中山七里で国内初のV16″那由多”を初登。課題は、共に小山田初登の”涅槃那”五段と”プレセム”五段ーを繋げた全27手。国内で、V16とグレーディングされたボルダー課題が発表されるのは初めて[4]。
- 指輪のサイズが35号と大きく、岩をつかむように筋肉がついているため、平らなところで手を広げるとまっすぐに広がらない。これに対し、本人は「職業病ですね」と笑っている。[2]
The Wheel of Life:全長30m、80手にもなる超ロングボルダー。
Dreamtime:フレッド・ニコル初登。数々のトップボルダラーが登っている。現在はV14とされている。
Action Directe:ウォルフガング・ギュリッヒ初登。1本指のランジで始まり、指が1本か2本かかる浅いポケットが連続する、非常にパワーを使うルート。
バベル:カタルシスからユーマを経由し、ハイドラへ抜ける、野立岩ルーフ最難のリンク課題。30手。
エピタフ:顕著な前傾壁にあり、極小ホールドでハードムーヴを強いられる、実質8手の課題。小山田は、自身のブログや誌面などで「不可能プロジェクト」と呼んでいた。