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日本の大阪府河内長野市の広域地名 ウィキペディアから
天見地区(あまみちく)は、大阪府河内長野市内の一地域。河内長野市の南部に位置し、河内長野市の前身である南河内郡天見村(あまみむら)の地域である。
河内長野市の南部に位置し、和歌山県との県境に紀見峠がある。当地域の真ん中を天見川、岩瀬地区を岩瀬川が流れ、川沿いに集落がある。また、天見川沿いに国道371号が通っている。
当地域は河内長野市の他の地域と違い、高度経済成長後も宅地開発事業が行われなかったため、古くからの集落の風情を多く残している。
町村制施行以前の天見村にあたり、当地域南部の中心となっている。北から下天見、出合、島ノ谷、上天見といった地区がある。地名の由来は古代の余戸の転訛の説があり、南北朝期には「安満見」とも書いた[3]。天見温泉として南天苑という旅館が天見駅近辺にある。地域を国道371号が縦貫し、北部は天見川の谷あいを中心に田畑や家屋が続き、南部は府県境の紀見峠をはじめとした金剛・葛城山系の山間地帯となっている。
読みは「いわぜ」。町村制施行以前の岩瀬村にあたり、千早口駅周辺の線路沿いに集落があり、当地域北部の中心部になっている。かつての村区分である上岩瀬と下岩瀬の地区に分かれている[3]。西側の天見川沿いの駅周辺は家屋や田畑が広がり、東側は山間地で谷あいの広域農道沿いに耕作地が続き、東端は鳩原へ続く。観心寺七郷のひとつで南北朝期から文献に残る[3]。
読みは「しみず」。地名の由来は高野街道わきに清水井があったことによるといわれる[3]。町村制施行以前の清水村にあたり、国道371号沿いに集落が形成されている。惣代(惣城)と呼ばれる集落は石仏地区と地形的につながっており、正徳元年に石仏村のため池を作るなど関わりが深い[3]。そのほかは天見川をはさんで向かいの岩瀬地域と生活圏を構成しており、国道371号から千早口駅にかけて集落や田畑が広がる。広域農道で西は唐久谷方面、東は岩瀬方面につながる。
読みは「ながれだに」。かつては灑谷とも書いた。町村制施行以前の流谷村にあたり、国道371号の出合ノ辻交差点から西へ約1kmの地点に位置し、流谷川沿いの谷あいに付近一帯に集落が形成されている[3]。葛城二十八宿修験の第十六番経塚として歴史があり、現在の経塚は1978年に再興され、川から引き上げた不動明王を祠に祀っている。林道流谷線で加賀田地区方面へ通じている。かつては流谷八幡神社付近も流谷地区であったが、寛永年間に下流谷村として分離し、のちに下天見村へと改称して天見村の分村となった。その当時の流谷地区は上流谷村と呼称していた[3]。
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