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1952年3月7日、石川県江沼郡大聖寺町の沖合約20kmを震源として発生した地震 ウィキペディアから
大聖寺沖地震(だいしょうじおきじしん)は、1952年(昭和27年)3月7日に石川県江沼郡大聖寺町の沖合約20kmを震源として発生した地震。
震央位置は北緯36度29.8分、東経136度8.8分、震源の深さは17kmである。地震の規模はM6.5で、石川県で7人の死者を出した。本震の初動(最初の揺れの向き)は震央の南や北では上向きの引き、東や西では下向きの押しであり、節面は北西-南東方向と北東-南西方向にあった。また、水平方向の初動は近畿や四国側で大きく、他の地域では小さかった[1]。
最大余震は3月8日に発生したM5.0の地震で、福井市で最大震度3を観測した。余震は本震の震央周辺の深さ30km付近に集中し、その余震域は福井地震の余震域の北端にある[2]。
気象官署などで震度3以上を観測した地点は次の通り[3]
震央に近い石川県で7人の死者と8人の負傷者を出した。死者のうち5人が火災による焼死で、負傷者のうちの1人も火災によるものであった[1]。
家屋被害の多くは壁の亀裂や剥脱で、大聖寺町や小松市では屋根瓦が落下する被害があった。小松市では鳥居の石版額が落下して幼児に当たり死亡した。インフラ被害の多くは道路の亀裂や電線・電話線が切断するものであった。金津町では満水状態の用水路の堤防が決壊し、周辺の田に埋没などの被害が発生し、湊村では手取川沿岸の埋め立て地で液状化現象が発生した。このほか、墓石や石灯籠、鳥居の倒壊が発生した。
福井県でも建物や道路に被害があり、北潟村で道路の亀裂や沈下のほか、背面がけ崩れによる民家が1戸埋没、地盤沈下による民家の60戸傾斜した[1]。
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