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南側は恩智地区(恩智北町、大字恩智)となるが、垣内地区の産土神である玉祖神社の氏地と恩智神社の氏地がここで分かれる。 かつて周防国から来た玉祖神社の分霊が恩智神社に泊まった際に住吉神の仲介で恩智の氏地を分けてもらうことになり、「朝早く来て鉾を立てた所を氏地分けの場所にしよう。」ということになったため、玉祖神は早く起きて夜が明けるのを待ち、この地に鉾を立てたとの伝承がある。そのため高安郡における玉祖神社の氏地は当地以北の広範囲にわたり、恩智神社の氏地は恩智地区に限定されるようになった。その場所、恩智との境界付近にかつて「白見塚」、「鉾立塚」があった。このような恩智・玉祖両神の関係については『恩智神社文書』『玉祖神社文書』『住吉大社神代記』に記されている。
正保郷帳の写しとされる河内国一国村高控帳では石高は346石余。江戸時代以降、幾度か支配者が変わり、寛文9年に淀藩領となり幕末に至っている。明治以降の市町村制施行で南高安村の大字となる。昭和47年の現住所表記施行時に大阪外環状線より西は高安町南(4~6丁目辺り)に分割された。
教興寺地区と恩智地区に挟まれた地域。西は大阪外環状線に接し、東は高安山の南の高台になっている。東高野街道の東側、3 - 5丁目辺りが旧村落。
2020年(令和2年)3月31日現在(八尾市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 1,860人 | [5] | |
2000年(平成12年) | 1,996人 | [6] | |
2005年(平成17年) | 1,997人 | [7] | |
2010年(平成22年) | 2,091人 | [8] | |
2015年(平成27年) | 2,059人 | [9] |
国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 581世帯 | [5] | |
2000年(平成12年) | 651世帯 | [6] | |
2005年(平成17年) | 668世帯 | [7] | |
2010年(平成22年) | 752世帯 | [8] | |
2015年(平成27年) | 758世帯 | [9] |
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2020年5月時点)[10]。
大字・丁目 | 番 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
垣内 | 全域 | 八尾市立南高安小学校 | 八尾市立南高安中学校 |
垣内一丁目 | 全域 | ||
垣内二丁目 | 全域 | ||
垣内三丁目 | 全域 | ||
垣内四丁目 | 全域 | ||
垣内五丁目 | 全域 | ||
垣内六丁目 | 全域 |
主要道路
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