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国本 京佑(くにもと けいすけ〉、韓国名:李京佑〈イ・キョンウ、이경우〉1989年1月9日 - )は、日本の元レーシングドライバー。
神奈川県横浜市出身。元在日韓国人3世のハーフで、現在は日本国籍[1][2]。
弟は同じくレーシングドライバーの国本雄資で、父は1970年代から1980年代にレーシングカートドライバーとして活躍した李好広(り・よしひろ、イ・ホグァン〈李好廣、이호광〉)、伯父は同時代のカートドライバー李好彦(り・よしひこ、イ・ホオン〈이호언〉)[3][4]。母は日本人[1][2]。身長:168cm、体重:55kg、血液型:RH+B型、最終学歴:慶應義塾大学環境情報学部在学、趣味:スキー・スノーボード・サーフィン、料理特技:英会話、クラシックピアノ。
神奈川県横浜市に生まれる。9歳(小学校4年生)の時にアルペンスキーを始め、アルペンスキー競技会に参戦する。2000年にはSAJ公認ジュニア技能検定1級を取得、マスターズジュニア選手権GSでは優勝を果たす。その後レーシングカートに興味を持ち始め、2001年にカート競技を開始する。徐々に才能が開花し、2004年には全日本カート選手権FAクラスでシリーズチャンピオンになる。
レーシングカートでの実績が認められ、2005年にはフォーミュラトヨタレーシングスクール (FTRS) を受講し、スカラシップを獲得。限定A級ライセンス[5]の発給を日本自動車連盟 (JAF) から受けた後、エッソフォーミュラ・トヨタシリーズ第7戦筑波ラウンドで4輪レースデビューを果たした。2006年はトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム (TDP) のスカラシップ生としてフォーミュラ・トヨタ&フォーミュラチャレンジ・ジャパン (FCJ) の2シリーズを戦った。両シリーズとも1度ずつ表彰台を得たのだが、多くのライバルたちの存在もあって両シリーズともシリーズ7位の成績に終わった。2007年もフォーミュラ・トヨタとFCJの2シリーズに参戦。特にFCJでは、勝利数こそ3勝にとどまったものの安定して上位の成績を残し、見事第2代のシリーズチャンピオンに輝いた。
2008年は、TDP契約ドライバーとなり、全日本F3選手権にTOM'Sから、SUPER GTには昨年のGT300クラスのチャンピオンチーム、aprより参戦している。F3では、第4戦オートポリスラウンドにおいて初優勝を飾ると、第14戦もてぎラウンドと第16戦富士ラウンドでもポール・トゥ・フィニッシュを飾りカルロ・ヴァン・ダムに次ぐシリーズ2位の成績でマカオGPへの参加を勝ち取った。マカオGPでは予選レース2位からスタートし優勝を飾った。19歳10か月9日での優勝は、最年少優勝記録を更新したと報道されたが、後に2003年のニコラ・ラピエールが19歳7ヶ月15日で優勝していることが判明し訂正された。SUPER GT(GT300クラス)でも第3戦富士ラウンドで初優勝している。
2009年は、チーム・ルマンよりフォーミュラ・ニッポンに出場したほか、チーム郷と自動車雑誌『NAVI』の合同チームである「NAVI TEAM GOH」よりル・マン24時間レースにも出場した。ワールドシリーズ・バイ・ルノー(フォーミュラ・ルノー3.5)にてラスト2戦をエプシロン・ユースカディから出走した。
2010年は日本を離れ、ワールドシリーズ・バイ・ルノーシリーズに参戦。前年に参戦したエプシロン・ユースカディと正式に契約をした[6]。
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2009年 | Navi チーム郷 | 荒聖治 サッシャ・マーセン |
ポルシェ・RSスパイダー Evo | LMP2 | 339 | DNF | DNF |
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