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日本陸軍の軍人 ウィキペディアから
北川 潔水(きたがわ きよみ、1896年(明治29年)8月30日[1] - 1957年(昭和32年)12月14日[1])は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。
広島県出身[1]。1917年(大正6年)5月25日、 陸軍士官学校(29期)を卒業し[1]、同年12月25日、陸軍砲兵少尉に任官し野砲兵第5連隊付となる[2][3]。1926年(大正15年)12月24日、陸軍大学校に入校し、1929年(昭和4年)11月29日、同校(41期)を卒業し陸軍士官学校に配属された[4]。
1939年(昭和14年)1月19日、明野陸軍飛行学校教官に就任し、同年3月9日、航空兵大佐に昇進[5]。同年8月1日、関東軍の第2飛行集団付としてノモンハン事件に出動した[1][5]。以後、第28飛行戦隊長、陸軍航空士官学校教官、同校生徒隊長を務め、1943年(昭和18年)3月1日、陸軍少将に昇進[1][5]。1944年(昭和19年)3月22日、第32軍参謀長に転じ、沖縄の守備に従事[1][5]。同年7月8日、台湾軍参謀副長に転じ、改編により同年9月12日、第10方面軍参謀副長に就任し台湾の守備に従事[1][5]。
1945年(昭和20年)2月12日、独立第25飛行団長に転じ、さらに同年6月22日、第55航空師団長に就任して、シンガポールで終戦を迎えた[1][5]。
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