兵庫県立赤穂高等学校
兵庫県赤穂市にある高等学校 ウィキペディアから
兵庫県赤穂市にある高等学校 ウィキペディアから
兵庫県立赤穂高等学校(ひょうごけんりつ あこうこうとうがっこう)は、兵庫県赤穂市海浜町にある県立高等学校。第4学区に属する[1]。愛称・略称は、「赤高(あかこう)」。
兵庫県立赤穂高等学校 | |
---|---|
北緯34度44分16.3秒 東経134度23分53.7秒 | |
過去の名称 |
兵庫県立赤穂中学校 →兵庫県立赤穂南高等学校 組合立赤穂実科女学校 →兵庫県立赤穂高等女学校 →兵庫県立赤穂北高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 兵庫県 |
学区 | 第4学区 |
併合学校 | 赤穂南高等学校、赤穂北高等学校 |
校訓 | 質実剛健、礼譲敬愛、自主創造 |
設立年月日 | 1927年(昭和2年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制による教育 |
設置学科 | 普通科 |
学校コード | D128210000503 |
高校コード | 28182E |
所在地 | 〒678-0225 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
前身の赤穂実科女学校から数えると100年を超える歴史を有し、赤穂市内にある唯一、兵庫県南西端の高等学校である。旧制中学の流れをくむ、西播磨では龍野高等学校と双璧をなす伝統校である。
瀬戸内海に面し、兵庫県立赤穂海浜公園近郊に位置する。
旧制兵庫県立赤穂中学校と旧制兵庫県立赤穂高等女学校の流れをくみ、第2次世界大戦後の学制改革により変遷を経て現在の名称となり、旧制赤穂中学校校歌の「われ等健児は励むなり、文を左に武を右に」と唄われていた「文武両道」の精神は現在へと受け継がれている。
1981年9月に現在地へ移転される前は赤穂城本丸跡に、ドイツ人建築士により設計された、屋上部に胸壁を備えた中世ヨーロッパ城郭風の旧制兵庫県立赤穂中学校校舎を用いており、多くの生徒は赤穂城大手門を通って登下校していた。文化庁により城郭が国の史跡に指定されたことで現在地に移転した。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.