Loading AI tools
ウィキペディアから
全日本F2000選手権(ぜんにほんエフにせんせんしゅけん)は、1973年から1977年まで日本で開催されていた自動車レースの1カテゴリー。フォーミュラカー(オープンホイール)を使用した四輪レースで、国内で最初のトップフォーミュラ選手権であった。
スポーツカーやツーリングカーのレースが中心だった黎明期の国内レース界において、フォーミュラカーレースの人気はいまひとつで、1971年からフォーミュラカーレースとして再スタートした日本グランプリも、1960年代のツーリングカー/スポーツカー時代と比べると人気を大きく落としていた。そのような状況下で日本自動車連盟(JAF)は、1973年にフォーミュラ振興策を打ち出し、フォーミュラカーレースの国内トップカテゴリーとして全日本F2000選手権を新設した。なお同時に、下位カテゴリーとして全日本FJ1300選手権と全日本FJ360選手権も新設している。
ヨーロッパで開催されていたフォーミュラ2(F2)にならったカテゴリーであったが、国際自動車連盟(FIA)のF2規定では量産型エンジンをベースにしたエンジンを搭載しなければならないのに対し、全日本選手権ではレース専用エンジンも認めた点で異なっていた為、“F2”ではなく“F2000”を名乗った。F2規定にしなかったのは、当時国内自動車メーカーで唯一のフォーミュラ推進派だった三菱自動車の供給するエンジンが、純粋なレーシングエンジンだったことが理由である。
当初はレース数も参加台数も少なかった為、FJ1300と混走する形でレースを開催していた。
1976年にエンジンは量産型がベースでなくてもよいとF2規定が改正されたことでF2とF2000の規定は同一となり、1978年より全日本F2選手権と呼称が変更され開催されることになった。
この節の加筆が望まれています。 |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.