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交響曲第45番 嬰ヘ短調 Hob. I:45 は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが1772年に作曲した交響曲。『告別』(独: Abschieds)の愛称で知られ、いわゆるハイドンの「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)期[1]」の交響曲の中ではよく知られている作品の一つであるばかりでなく、ハイドンの交響曲全体の中でももっとも人気のある作品のひとつである。
本作、第46番、第47番『パリンドローム』は、残された自筆譜によっていずれも1772年の作曲であることが判明している。下記の逸話から、1772年の秋に作曲されたことが明らかである。
この曲は嬰ヘ短調という、18世紀の交響曲にはほかに見ない調性で書かれており[2]、第3楽章と終楽章ではさらに嬰ヘ長調(嬰音(シャープ)記号が6つ)になる。有名な終楽章を除いても、第1楽章の激しいリズムや展開部に突然出現する新しい主題、第2楽章の半音階的な進行など、本作には創意があふれている。
『告別』の愛称はハイドンの自筆譜には見えず、他の18世紀の資料にも見えないが、19世紀初めから広く使われた[2]。
19世紀初めにハイドンの伝記を記したゲオルク・アウグスト・グリージンガーやアルベルト・クリストフ・ディースが伝える逸話によると、エステルハージ家の夏の離宮エステルハーザでの滞在期間が予想以上に長引いたため、大抵の楽団員がアイゼンシュタットの妻の元に帰りたがっていた。このため、ハイドンは終楽章で巧みにエステルハージ侯ミクローシュに楽団員の帰宅を認めるように訴えた。終楽章後半のアダージョで、演奏者は1人ずつ演奏をやめ、蝋燭の火を吹き消して交互に立ち去って行き、最後に左手に、2人の弱音器をつけたヴァイオリン奏者(ハイドン自身と、コンサートマスターのアロイス・ルイジ・トマジーニ)のみが取り残される。エステルハージ侯は、明らかにメッセージを汲み取り、初演の翌日に宮廷はアイゼンシュタットに戻された[3]。ただし、この逸話を裏付ける証拠は残されていない。
オーボエ2、ファゴット1、ホルン2、第1ヴァイオリン2、第2ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1、コントラバス1。
両端楽章のホルンは1本がA管、もう1本がE管を使用する[4]。長調の第2楽章では2本のA管を、第3楽章では2本のFis管を使用している。ハイドンは本作と同じく、特殊な調性で書かれた第46番の2曲のためにホルン用の替え管を特注し、ハイドン自身による1772年10月22日付けのホルン製造会社宛ての支払い書が残されている[2]。
古今を通じても、Fis管のホルンの使用例はほとんど見られない(ジョルジュ・ビゼーの『アルルの女』第2組曲の「パストラール」では、同様のFis管ホルンの希少な実例を見ることが出来る)。
最終楽章のアダージョ部分では、各楽団員のために楽譜が12段に分かれて[5]書かれ、2人のオーボエ、2人のホルンのパートがそれぞれ独立しているほか、ヴァイオリンは4パートに分かれ、通常は低音楽器としてひとまとめに書かれるチェロ・ファゴット・ヴィオローネ(コントラバス)のパートが分けて書かれている。
本作が書かれた時期のエステルハージ家の楽団は総勢12人であり、上記の楽譜は1パート1人だった[6]。これまで、ハイドンの交響曲でファゴット、チェロ、コントラバスが同じ旋律を斉奏していたのかどうかはよくわかっていなかったが、この交響曲でその裏が取れている。
ハイドンの後期以外の交響曲はチェンバロの通奏低音つきで演奏されることもあるが(録音はトレヴァー・ピノック/EC、トン・コープマン/ABOなど)、チェンバロを用いない演奏もある(録音はクリストファー・ホグウッド/AAM[7]、ブルーノ・ヴァイル/Tafelmusikなど)。特に、ホグウッドはハイドンの交響曲の初演当時はチェンバロ奏者はいなかったと考える学者の意見を取り入れ、初演当時の響きを再現すべくチェンバロを用いない演奏を録音した[6]。本作におけるその根拠としては、終楽章後半のアダージョで、舞台から去る各楽器には独奏パッセージが与えられているにもかかわらずチェンバロ用の楽譜がないこと、ハイドン本人は最後までヴァイオリンを弾いていたと伝えられることから、ハイドンがチェンバロを弾くことはできなかったと考えられ、ほかにエステルハージ家にはチェンバロ奏者は雇われていなかったことが挙げられる[8]。なお、第1番以前にハイドンは多くの "Sinfonia" を破棄したと考えられており、その時代には通奏低音が含まれていた可能性がある。
定式通りに4つの楽章で作曲されているが、最終楽章のあとのアダージョ部分は実質的に第5楽章に相当する。演奏時間は約25分。
本作は早くから有名になり、ハイドン自身も自作の第60番『うかつ者』や第85番『王妃』の中でセルフパロディを行っている。
また、アルフレート・シュニトケによる2つのヴァイオリンと11の弦楽器のための『ハイドン風モーツァルト』(Moz-Art à la Haydn、1977年)はこの作品に影響を受けた曲で、真っ暗な中を演奏者が演奏しながら舞台に上がっていく。曲の終わりではひとりずつ演奏しながら舞台から去っていき、再び舞台は暗くなる[9]。
2009年のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートでは、ハイドン没後200年を記念し、ダニエル・バレンボイムが第4楽章をとりあげ、団員が1人ずつ壇上から去っていく様が評判を呼んだ。
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