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1326-1371, 南北朝時代の公卿。従一位太政大臣。号は千種太政大臣、または中院。父は太政大臣久我長通。母は参議園基顕の娘。勅撰集『風雅和歌集』以下に8首入集 ウィキペディアから
久我通相(こが みちまさ)は南北朝時代の公卿。従一位太政大臣。千種太政大臣、または中院と号す。父は太政大臣久我長通。母は参議園基顕の娘。
以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
『園太暦』によると、文和4年(1355年)に通相が内大臣に任ぜられる事をしきりに望んだが却下されたという。結局、通相は翌年に内大臣に任ぜられるのだが、通相の内大臣昇進が一旦見送られたのは、上首であった権大納言左大将の鷹司冬通を越えることになることに冬通が異を唱えたからである[5]。なお、鷹司冬通が大臣に昇進したのは延文5年/正平15年(1360年)9月であり、通相が内大臣と右大将を止められた後である。
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