三井住友海上女子柔道部

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三井住友海上女子柔道部

三井住友海上女子柔道部(みついすみともかいじょうじょしじゅうどうぶ)は、全日本実業柔道連盟に所属する三井住友海上火災保険株式会社の女子柔道実業団チーム。

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世田谷道場(東京都世田谷区)

沿革

1989年に体重別選手権の会場がそれまでの講道館から代々木第一体育館に移った際に、この当時の全日本女子代表チームの監督だった柳澤久が、広告収入を賄うためのスポンサー探しで住友海上火災保険と交渉に入った。それがきっかけで住友海上女子柔道部の創設まで話が進み、柳澤が監督を兼任することになった[1]。柳澤が監督、持田典子がコーチ兼選手の体制で同年9月に創部した[2]。翌1990年4月、新たに部員8名が入社して本格的に活動を開始した[2]

1996年アトランタオリンピック恵本裕子がオリンピック正式競技になってから日本の女子選手として初めてとなる金メダルを獲得した[3]。この時に会社側は女子柔道部を永続させることを決定したという[1]

1997年12月、現在の世田谷道場が完成した[2]

2001年、住友海上が三井海上と合併したために三井住友海上女子柔道部となった。

2002年に全日本実業柔道団体対抗大会1部で初優勝し、2018年までに8度の優勝を果たした[4]

2004年アテネオリンピック上野雅恵(70kg級)が金メダルを、横澤由貴(52kg級)が銀メダルを獲得した[2]

2008年北京オリンピックで上野雅恵がオリンピック2連覇を達成し、中村美里(52kg級)が銅メダルを獲得した[2]

2012年ロンドンオリンピック上野順恵(52kg級)が銅メダルを獲得し、姉の上野雅恵に次ぐメダル獲得で女子柔道界初の姉妹メダリストになった[2]

2016年リオデジャネイロオリンピック近藤亜美(48kg級)と中村美里が、それぞれ銅メダルを獲得した[2]

2018年10月に創部30周年式典が開かれた。この際に世界選手権で2連覇を達成した主将の新井千鶴は、「先輩方が築いた歴史、超えたいとの思いで頑張れる」とコメントした[5]

2020年12月、創部以来監督を務め続けてきた柳澤が退任して、上野雅恵が新監督に就任した[6]

2021年開催の2020年東京オリンピックで新井千鶴(70kg級)が金メダルを獲得した[7]

2022年5月に3年ぶりに開催された実業団体で、上野が監督になって初優勝を果たした[8]

2024年パリオリンピック舟久保遥香(57kg級)が銅メダルを獲得した[9]

特色

育成計画

最初期の2名を除けば部員は全て高卒である。チャンピオン育成のため徹底的な体力作りから始まる綿密な6年計画の下では、大学を出てからでは遅すぎることや、高卒の段階で本気で世界を目指す覚悟を要求するためだからという[1]。6年計画の内訳は最初の2年で「基礎体力の強化」、次の2年で「世界で一本を取れる技、技術のマスター」、続く2年で「国際舞台で力を発揮できる精神力」となる[10]

トレーニング

試合に勝った者だけが休みを与えられて、負けた者はひたすら稽古に取り組む。部員の努力を目に見える形にするために、すでに部の創立当初からIJFが2009年になって本格的に導入した世界ランキングに相当するような独自のランキングを作成して部員の評価に当たっていた。また、「いくら練習しても実戦につながらなければ意味がない」との信条により、道場には「どすこいバー」「ひねりん棒」「内股くん」「スクワッショイ」など、柔道で使う筋肉を鍛えるための「金取れマシン」と呼ばれる特許も有する独自に開発された筋力トレーニング用のマシンがいくつも設置されている。2002年にフランス選手とのパワー差を具体的な数値で見せ付けられたことにより、パワーに裏付けされた技でなければ勝てないと思い至り、電気通信大学の教授も務めていた柳沢が知能機械工学科の学生らとともに「プロジェクトY」を立ち上げたのがそのきっかけだった[10][11]。2012年のロンドンオリンピックあたりまでは「引く」「押す」マシンが中心だったものの、その後はより柔道の動きに近い「刈る」「組む」に進化させた刈り専用マシンの「幹ちゃん」や組み手専用の「お絞りくん」も製作された[12]

文武両道

人間の基本は「読み、書き、そろばん」であり、柔道ができるだけでは社会で通用しないとの柳沢の考えから、部員に徹底的な教育も施す。そのため、女子柔道部は別名「三井住友大学」とも呼ばれる。週に一度は一般教養の試験が実施されて、満点を取るまで何度も追試が行われる。また、国際大会におけるドーピング検査の際に英語が話せないと困るとの理由から、部員に英会話の授業を受けさせている。加えて講師を招いてパソコン金融に関する教養講座も定期的に開かれる。さらに部員には、試合前に対戦が予想される相手を徹底的に分析したレポートや、試合後の反省点など多数の報告書を提出させるが、字が汚いと書き直させる[10][13]

社会への貢献と交流

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世田谷道場に最寄りの芦花公園商店街(2022年2月)

柔道普及や地域との交流を目的として、小学生相手の少年少女柔道教室を週3日設けている[14]。加えて、4700名の会員を擁する「ガッテンダーズ」と呼ばれる後援会が、大会になると応援に駆けつける[15]

実業団体での成績

さらに見る 年, 順位 ...
順位
1990年2位(住友海上A)、3位(住友海上C)
1991年2位(住友海上B)
1992年2位(住友海上)
1993年3位(住友海上A)
1994年-
1995年2位(住友海上A)
1996年3位
1997年3位
1998年3位
1999年-
2000年3位
2001年2位
2002年優勝
2003年優勝
2004年3位
2005年優勝
2006年優勝
2007年2位
2008年2位
2009年2位
2010年3位
2011年3位
2012年3位
2013年優勝
2014年2位
2015年優勝
2016年優勝
2017年-
2018年優勝
2019年2位
2022年優勝
2023年2位
2024年-
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  • 今大会が始まった1990年から1995年までは複数のチームに分かれて参加していた。1996年からは大会に第1部と第2部の2部門が設けられると、上位カテゴリーである第1部に参加することとなった[4]

スタッフ

監督

コーチ

特別コーチ

アドバイザー

社外アドバイザー

主な在籍選手

主な出身者

施設

本拠地である三井住友海上世田谷道場は、空調完備の368平方メートル(176畳)の柔道場に加えてトレーニングルーム、宿泊施設などの設備を備えている[16]。1997年完成。

所在地:東京都世田谷区北烏山1-4-1

脚注

外部リンク

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