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ダッソー社で開発した艦上戦闘機 ウィキペディアから
ラファール(フランス語: Rafale)は、フランスのダッソーが開発した多用途戦闘機。当初フランスは、イギリス、西ドイツ、イタリア及びスペインとの欧州戦闘機の共同開発計画に参加していたが、軍事的・政治的理由により脱退し、単独で完成させた。機体名称は、フランス語で「疾風、突風」の意味。
1980年代初め西ヨーロッパ諸国で戦闘機を共同開発する計画が上がり、当初フランスもその計画に参加していた。この戦闘機はフランス以外の国では陸上戦闘機として使用するため機体サイズに制約はなかったが、当時は欧州各国で唯一フランスだけがCTOL型航空母艦(クレマンソー級)を保有しており、その艦上機としての運用も考えていたフランスは機体サイズに関するフランス案の採用を求めていた。空軍はミラージュF1とミラージュ2000、海軍はシュペルエタンダールとLTV F-8Eの後継機をそれぞれ必要としており、前者を戦術作戦機(Avion de Combat Tactique:ACT)、後者を海軍作戦機(Avion de Combat Marine:ACM)と呼び、空軍海軍両軍はACTとACMを共同で試作用作戦機(Avion de Combat Experimenatal:ACX)として開発することにした。これが後のラファールの原型である。
フランスは自国産のエンジンに執着しており、スネクマ社[注 1]のM88エンジン(推力7,600kg[2])の採用を強く主張した[注 2]。しかし、より高性能な国際共同開発(事実上はイギリス政府と、再民営化前のRRが主導)のユーロジェット EJ200[注 3]を搭載するということでフランス以外の国では話がまとまってきており、出力の低さが機体規模を制約するM88エンジンが採用される可能性は皆無に等しかった。当時のスネクマ社は経営状況が思わしくなく、M88の採用に会社の存亡がかかっているといっても過言ではなかったこと、フランス政府にとっては自国の産業を守る意味でも、核弾頭、ミサイル、原子炉のすべてを国産した核戦力同様に全方位戦略の後ろ盾としての外国の意向に左右されない自国製戦闘機用エンジンの確保という意味でも妥協はあり得なかった。
また、陸上基地から発着する空軍機としての運用を主眼としていた他国と異なり、当時2隻のCATOBAR式CTOL空母を保有しているフランスにとって、生産機数の1⁄4から1⁄3を海軍機として共用できるかどうかは、総生産機数と単価に関わる重大事でもあった[注 4]。フランスが保有するクレマンソー級は正規空母とはいえ排水量はエセックス級と同程度であるが、カタパルトの能力ではより劣っていたことから運用できる機体規模については20トン程度が限度だった。のちに「シャルル・ド・ゴール」として結実する原子力空母がより新型のカタパルトや着艦拘束装置を搭載するにせよ、ドックによる船体の上限、その船体が支える飛行甲板面積の制限がある以上、大型の艦上機は飛行甲板でのハンドリングにおいて不利に働くことになる。そのため、フランスにはM88を捨ててまで国外製エンジンを搭載したより大型大重量の戦闘機を採用するという動機に欠けていた。
関係各国で粘り強く話し合いが続けられていたが、結局フランスは最後まで妥協を拒み1985年7月に共同開発計画から脱退、8月には自国単独での戦闘機開発を進めることを決定した。これによりイギリスのBAe社とドイツのMBB社は共同でECA(欧州作戦機)の開発をすることにした。この計画で開発されたのが、のちのユーロファイター タイフーンである。
こうしてフランスは自国で新戦闘機開発を行うこととなり、1990年代後半の運用開始を想定して開発作業を行っていった。単独での兵器開発は共同開発に比べて国家間での調整は不要となる。それゆえ、タイフーンのような参加各国との調整に時間をとられることはなかった。ただし、M88も完成でいえばEJ200と同時期であることや部隊配備もユーロファイターとさして差がないことから、開発開始時期で先行していても一国で用意できる資金の限度が開発を長期化させる傾向を読み取ることができる。そもそも国際共同開発の目的は、複数国の需要をまとめることによる開発資金の確保にある。
ラファール技術デモンストレーター機はM88よりも150キロほど重い米GE社製のF404エンジンを搭載するように設計された。設計時点でM88の完成品は存在せず、高圧コンプレッサーの地上試験が行われている段階であり、進捗はフランス政府の資金の投入に左右されていた。エンジンの完成を待ってインテグレートを行った場合はさらに数年の時間が見込まれたであろう。ACXは自重9t程で、空対空戦闘には空対空ミサイルを6発、空対地戦闘には3,500kgの兵装を搭載でき、作戦行動半径650kmの性能を持つ機体とされた。1983年初頭に「ラファール」と命名。当初は2機のデモンストレーターを用意する予定であったが、結局1機のみとなり、1984年3月に製造が開始された。ラファールA(ナンバー"01")がロールアウトしたのは1985年12月14日であった。地上試験後、ラファールAは1986年7月4日に初飛行し、マッハ1.3、数日後には現代戦闘機の最高速度に近いマッハ1.8を記録した(アメリカの場合、初飛行では降着装置を出したまま、制限付きで飛行することが多い)。ライバルにあたるEAPは8月6日の初飛行でマッハ1.1を記録している。
ラファールAは1986年9月、イギリスで行われたファーンボロー航空ショーで一般公開された(EAP(Experimental Aircraft Program)も参加)。搭載したF404はすでにF/A-18のエンジンとして量産される一方でM88は開発途上であり、実際、量産型となるM88-2の納入は1996年となったが、F404搭載による早期戦力化は俎上にも上らず、あくまで軽量の新型エンジンであるM88を搭載した戦闘機として開発が継続された。ラファールAは1987年4月30日に空母「クレマンソー」へのアプローチ試験を実施した。1988年7月4日-8日にかけ、姉妹艦の「フォッシュ」も使用し、85回のアプローチ試験を行う。また、1989年には「クレマンソー」、「フォッシュ」両艦で92回行われた。これと並行し、300回以上も陸上飛行場で空母着艦を想定した試験が行われた。これら試験の結果、旧型機のシュペルエタンダールよりも9km/h遅い222km/hでのアプローチが可能なことを証明した。1989年4月、デジタル操縦システムの試験を開始、7月12日に完了。完了した段階で飛行回数460回(飛行時間:430時間50分)を超えた。この間、最大AOA(迎え角)32°、最小速度148km/h、低高度最大速度1,390km/hを記録。1990年2月にラファールAは右エンジンをF404からM88-2に変更。試験飛行を再開する。さらに3月には左エンジンも変更し、推力不足に陥るが、試験飛行を繰り返し、1992年10月30日に飛行回数708回(飛行時間:約1,000時間)に達する。その後、867回目のフライトを最後に、1994年1月24日に退役。現在はオルレアン近郊のシャトード空軍基地に保管されている。
しかし、冷戦の終結による国防予算削減の影響により、計画は次第に遅れが出始めた。また、配備数も当初空軍がミラージュ2000の後継として250機(C型:225機 B型:25機)、海軍がF-8E(FN)とシュペルエタンダールの後継としてM型を86機導入する予定であったが、空軍は234機(C型:95機 B型:139機)、海軍はM型60機に削減された。なお、空軍の配備数内訳で複座型の割合が増えているが、これは複合任務を行うには複座が適しているとのことからである。また、海軍では同様の理由から導入する60機のうちの25機を複座型のラファールNとする計画もあったがキャンセルされた。
ラファールは海軍型であるラファールMが重点的に生産された。これは空軍が使用しているミラージュ2000が比較的優秀で成功を収めた第4世代ジェット戦闘機であるのに比べ、海軍が艦上機として長らく使用していた旧式の(第2世代機に相当する)F-8E(FN)の陳腐化・老朽化が顕著であったことに加え、艦上攻撃機のシュペルエタンダールも、もとより作戦機としては物足りない性能で、やはり旧式化しつつあったことから、早急に更新を進める必要があったためである。海軍への引き渡しは2000年から始まり、2003年にIOC(初期作戦能力)を獲得した。一方、空軍には2002年から引き渡しが始まり、2006年6月にIOCを獲得した。
2007年頃から、アフガニスタン紛争で実戦投入されているほか、2013年1月、フランスがマリ共和国(のイスラム系反政府勢力)に対して行った軍事介入(セルヴァル作戦)にも使用されている[3]。2014年9月には、イラクに展開する過激派組織ISILの物資集積拠点にGBU-12を投下、破壊する作戦に従事した[4]。
ラファールは、クロースカップルドデルタ翼機である。後退角は45度で、翼端をカットしたクリップドデルタである。無尾翼デルタ翼の場合は低翼配置にする例が多いが、本機の場合は、地上からのクリアランスとミサイルをはじめとした大型兵装の搭載スペースを確保し、さらに決して余裕があるとはいえない推力を補うために空気抵抗の少ない中翼配置を採用している。そして主翼の付け根の前方の延長線上にカナードを装備した[注 5]。
前部胴体は内側にへこんだ逆三角形型をしており、Sダクト・エアインテークはそのへこんだ部分に楕円形状に左右2か所設けられている。エアインテーク前の機体形状は独特の曲線で構成されている。この設計により、レーダー反射断面積こそタイフーンより劣るものの、ステルス性を向上させている。不時着が難しい洋上における想定外の事態に対するリスクヘッジや任務・戦闘における生残性の向上のために海軍機は双発であることが望ましいとされるが、海空統合機として設計されたラファールのエンジンも例外ではない。しかし双発型でありながら、小型・軽量のM88エンジンの採用や配置の工夫によって、機体そのものは非常にコンパクトにまとめられている。
機体は静的安定性弱化がなされており、フライ・バイ・ワイヤにより操縦が行われている。操縦系統はデジタル系統が3チャンネル、アナログ系統が1チャンネルで、機械系統は設けられていない。縦方向の制御には、先尾翼にあたるカナードと主翼内側のエレボンの双方を用いる。カナードは着陸時にスピードブレーキとしても機能する。
翼端にはミサイルランチャーがあり、それを含めたハードポイントは14箇所(海軍型は13箇所)ある。マルチロール機として幅広いミッションを行うべく、これから開発されるものも含めた、さまざまな兵器を使用できるようになっている。固定武装として右主翼付け根に装備する30 M 791 30mm機関砲は、ステルス性に配慮して砲口がカバーで蓋をされており、使用時に砲弾でカバーを破る。
コックピットはタッチパネル式の多機能ディスプレイを採用したグラスコックピットとなっており、サイドスティック式の操縦桿とスロットルレバーのデザインを統一することで操作性を高めている。よって1本のスロットルレバーで2基のエンジンを同時に制御する形になっており、機体のバランスが非対称になった際は機体側で自動的に出力が調整される。対スピンスイッチ(いわゆるパニックボタン)も設置されており、オンにすると自動的に機体を水平に戻し、350ktでの5度上昇を行う。また、アメリカのJHMCSに相当するTopOwl-Fヘッドマウントディスプレイの運用も可能。
海軍向けの艦載機型であるM型は、降着装置の強化やアレスティング・フックの改良などの改修により自重が6.5%増加しているが、基本的なシステムは空軍向けと同じで、高い共通性が持たされている。
海軍が配備を急いだことから、海軍向けの最初の10機は空対空能力しか持たないLF1およびF1仕様、続く15機は限定的な対地攻撃能力を持つF2仕様として引き渡され、それ以降の機体が完全な能力を持つF3仕様となった。空軍向けの機体はF2仕様の初期機体以外全機がF3仕様となっている。F1/F2仕様もF3仕様に改修される予定だが、予算上の制約からF3仕様の完全配備は2020年頃までずれ込む見込みとなっている。
2007年12月6日にサン=ディジエ=ロバンソン空軍基地所属の機体が夜間訓練飛行中に就役以来初の墜落事故を起こしている[20]。
2009年9月24日非武装テスト飛行後、二機のラファールが空母「シャルル・ド・ゴール」に帰還中、フランス南西部の都市ペルピニャンから30kmの上空で衝突した。パイロットのFrançois Duflotは死亡が確認され、もう一人は救助された[21]。
2010年11月28日空母「シャルル・ド・ゴール」から飛び立った機体がアラビア海に墜落。この機体はアフガニスタンの作戦に参加する機体だった。パイロットは脱出に成功し、空母からの救助ヘリにより救助された。事故原因はパイロットによる燃料タンクの切り替えによって、燃料不足でエンジンがストップしたためだった[22]。
2012年7月2日共同訓練中、空母「シャルル・ド・ゴール」から飛び立った機体が地中海に墜落。パイロットは脱出に成功、アメリカ海軍の空母「ドワイト・D・アイゼンハワー」からの救助ヘリにより救出された[23]。
2024年8月15日、フランス北東部のコロンベレベルで、2機のラファール戦闘機が訓練中に空中衝突し、片方に搭乗していた訓練生と教官の2人が死亡した[24]。
ラファールは輸出にも積極的で各国への売込みを行っており、確実な高い評価を得ている。
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