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ボスニア・ヘルツェゴビナ国有鉄道IIIc5形蒸気機関車(ボスニア・ヘルツェゴビナこくゆうてつどうIIIc5がたじょうききかんしゃ)は、現在ではボスニア・ヘルツェゴビナとなっている共同統治国ボスニア・ヘルツェゴヴィナのボスニア・ヘルツェゴビナ国有鉄道(Bosnisch-Herzegowinische Staatsbahnen(BHStB)、1908年以降Bosnisch-Herzegowinische Landesbahnen(BHLB))で使用された山岳鉄道用ラック式蒸気機関車である。
現在のボスニア・ヘルツェゴビナでは、オーストリア=ハンガリー二重帝国配下であった共同統治国ボスニア・ヘルツェゴヴィナ時代の1880年代以降、二重帝国ボスナ鉄道[1]、ボスニア・ヘルツェゴビナ国有鉄道、二重帝国軍用鉄道[2]などによって各地にボスニアゲージと呼ばれる760mm軌間の鉄道が建設されていた。これらの路線のうち2路線が急勾配に対応するためラック式鉄道となっており、そのうちの1路線がサラエヴォからアドリア海方面への路線として、コニツ、モスタルを経由してメトコヴィチへ至っていた全長178kmの幹線であるネレトヴァ線[3]で1885年-91年に開業しており、もう1路線は1879年–82年に建設されたブロドからサラエヴォに至る全長355kmのボスナ線[4]のラシュヴァから、トラヴニク、ドニ・ヴァクフを経由してブゴイノに至り、計画ではクロアチアのアドリア海沿海の都市であるスプリトまでの建設を予定していた全長70kmのスプリト線として1893年-94年に開業している。これらの路線のうち、ネレトヴァ線では途中ボスナ川流域からイヴァン峠を越えてネレトヴァ川流域に至る区間が最急勾配60パーミル、アプト式のラック式鉄道として、スプリト線では途中コマル峠を越える区間が最急勾配45パーミル、同じくアプト式のラック式鉄道として建設されていた。
本形式は1894年のスプリト線の開業に合わせて、同線の45パーミルで150tの列車を牽引するとともに、ネレトヴァ線では、1891年製で60パーミルで60tの列車を牽引可能であったIIIb4形41-48号機の増備として、60パーミルで120tの列車を牽引することができる性能を持つIIIc5形の701-738号機として導入された機体であり、現在のオーストリアのフロリッツドルフに工場を持っていたフロリッツドルフ機関車工場[5]で製造されている。なお、同社はオーストリア・ハンガリー帝国内で唯一アプト式蒸気機関車の製造権を有しており、同じボスニア・ヘルツェゴビナ国有鉄道のIIIb4形およびVIc7形も同じ製造所で製造されている。また、本形式の形式称号の"III"は動軸3軸、"c"は自重35t以上、"5"は全軸数を表すもので表すものであったが、ユーゴスラビア国鉄時代の1933年の称号改正により、全機が97形となっている。この付番方法では蒸気機関車のうち、01-49形が標準軌のテンダ式、50-69形が標準軌のタンク式、70-94形が760mm軌間、95-98形が760mm軌間のラック式、99形が600mm軌間と分類され、経年の進んでいた機体にはこれらに100を加えた形式名とされていた。また、本形式のメーカーのフロリッツドルフ機関車工場での型式は510型であった。
本形式はIIIb4形を出力増強するとともに、タンク式からテンダ式とした、車軸配置Czz2tのラック式蒸気機関車であり、3軸の動軸の間に2軸のラック区間用ピニオンを配して、それぞれを別個の駆動装置で駆動する4シリンダ(2気筒単式×2)のものとなっており、ラック区間用ピニオンの装荷および駆動方式もIIIb4形に引続きアプト式を採用している。ラック式鉄道で使用される蒸気機関車のうち、粘着式とラック式双方の駆動装置を装備する機体は、粘着動輪とラックレール用ピニオンの負荷を適切に分担させる必要があることと、一般的には粘着動輪とピニオンの径が異なるため、それぞれを別個に駆動して異なる回転数で動作させる必要があることから、初期に製造された機体を除き、4シリンダ式としてシリンダーおよび弁装置2式を装備するものがほとんどであり、主にラック区間用ピニオンの配置方法などの違いにより、ヴィンタートゥール式、アプト式、ベイヤー・ピーコック式ほか名称の無いものも含めいくつかの方式が存在していた。本形式に採用されたアプト式は、動輪の前後車軸間に駆動用のピニオンを装備した中間台枠を渡し、これを粘着式駆動装置用のシリンダの間に配置したラック式駆動装置用のシリンダで駆動する方式で、ピニオンが動輪の車軸に装荷されるため、ラックレールとピニオンの嵌合が機関車本体の動揺の影響を受けないという特徴があった。なお、この方式はラックレールのアプト式を考案したのと同じカール・ローマン・アプトが考案したもので、信越本線碓氷峠で使用された1892年エスリンゲン製の国鉄3900形と同方式であった[6]。また、本形式は小径の動輪と、動輪群の後部に広火室を配した比較的大径のボイラーを組み合わせた低重心のオーストリア=ハンガリー帝国の狭軌鉄道における標準的な形態の機関車であり、外観デザイン等も他形式と類似のものとなっている。
なお、本形式はボスニア・ヘルツェゴビナ国有鉄道IIIc5形として運行されていたが、ボスニア・ヘルツェゴビナ国鉄は1908年のボスニア・ヘルツェゴビナ併合にともなってオーストリア=ハンガリー帝国のボスニア・ヘルツェゴビナ地方鉄道に改称している。さらにその後ボスニア・ヘルツェゴビナ地域は1914年-18年の第一次世界大戦およびオーストリア=ハンガリー帝国の解体を経て1918年に成立したセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(1929年に国名をユーゴスラビア王国に変更)に属することとなったことに伴い、ボスニア・ヘルツェゴビナ地方鉄道の路線は同国国鉄であるセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国鉄道[7](1929年にユーゴスラビア国有鉄道[8]に名称変更)の路線となってIIIc5形も同国鉄の所有となった。この間、1906年には車軸配置(2zz)B2tのマレー式のラック式蒸気機関車[9]で60パーミルで150tを牽引可能なVIc7形の751、752号機が試作されたが量産には至らなかったことと、輸送量が増加していたことから、本形式はIVa5形とともに第一次世界大戦の間も含め引続き増備が続けられて1919年までに38機が導入されたほか、1933年には前述のとおり称号改正が実施されてIIIc5形から97形に形式変更となっている。
1941年にはクーデターやユーゴスラビア侵攻によりユーゴスラビア王国が実質的に崩壊し、ユーゴスラビア王国の鉄道はクロアチア独立国のクロアチア国鉄[10]やセルビア救国政府のセルビア国鉄[11]および占領していたドイツ、ハンガリー、イタリア、ブルガリア各国の国鉄が運行するようになったほか、パルチザンが運営する民族解放軍営鉄道[12]がその支配地域で運行されていたが、本形式は1941年時点では全機がクロアチア国鉄が運行していた。
1945年にはユーゴスラビア連邦人民共和国が成立し、97形は再度ユーゴスラビア国鉄の所属となり、その後1952年にはユーゴスラビア国鉄の後身としてユーゴスラビア鉄道が発足しているほか、1963年には国名がユーゴスラビア社会主義連邦共和国に変更となっている。こうした流れの中でユーゴスラビア鉄道では鉄道の近代化の一環として760mm軌間のうち主要路線は標準軌に転換するともに、不要路線を廃止することとなり、1980年代までに760mm軌間の鉄道は全廃されているが、本形式は後継となるラック式機関車が導入されなかったため1966年のネレトヴァ線の標準軌路線への転換や1975年のスプリト線の廃止まで運行されていた。
なお、本形式は1894年から1919年にかけての長期にわたり導入が続けられており、1形式で38機という機体数はイタリア国鉄が1911年-29年にシチリア島のラック式鉄道に導入したR370蒸気機関車の48機に次ぐ、欧州二番目の機数のラック式機関車となっている。
本形式の製造年ごとのフロリッツドルフ機関車工場の製番、ボスニア・ヘルツェゴビナ国有鉄道(BHStB/BHLB)機番、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国鉄道(SHS)機番、ユーゴスラビア国鉄/ユーゴスラビア鉄道(JDŽ/JŽ)形式機番は以下のとおりである。
製造年 | 製造所 | 製番 | 機番(BHStB/BHLB) | 機番(SHS) | 形式機番(JDŽ/JŽ) |
---|---|---|---|---|---|
1894年 | フロリッツドルフ機関車工場 | 913-914 | 701-702 | 701-702 | 97-001-002 |
1895年 | 957-958 | 703-704 | 703-704 | 97-003-004 | |
1896年 | 1001/1033-1034 | 705-707 | 705-707 | 97-005-007 | |
1900年 | 1035-1336/1342/1431-1432 | 708-712 | 708-712 | 97-008-012 | |
1901年 | 1465-1467 | 713-715 | 713-715 | 97-013-015 | |
1904年 | 1562-1563 | 716-717 | 716-717 | 97-016-017 | |
1908年 | 1802-1805 | 718-721 | 718-721 | 97-018-021 | |
1911年 | 2020-2021/2087 | 722-724 | 722-724 | 97-022-024 | |
1912年 | 2088 | 725 | 725 | 97-025 | |
1913年 | 2147-2149 | 726-728 | 726-728 | 97-026-028 | |
1914年 | 2188-2189 | 729-730 | 729-730 | 97-029-030 | |
1915年 | 2252-2255 | 731-734 | 731-734 | 97-031-034 | |
1919年 | 2555-2558 | 735-738 | 97-036-038 |
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