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イタリアの州 ウィキペディアから
ピエモンテ州(ピエモンテしゅう、イタリア語: Piemonte)は、イタリア共和国北西部に位置する州。州都はイタリア第四の都市であるトリノ。
ピエモンテには「山の麓」という意味がある[3]。標準イタリア語以外の言語では以下の名称をもつ。
アルプス山脈南西麓に広がる州である。州都トリノは、ジェノヴァの西北約124km、ミラノの西南西約126km、ニースの北北東約156km、ジュネーヴの南東約174km、首都ローマの西北約522kmに位置する。
隣接する州およびそれに相当する行政区画は以下の通り。CHEはスイス領、FRAはフランス領を示す。
ピエモンテ州は、以下の8県から構成される。 左端の数字はISTATコード、アルファベット2文字は県名略記号を示す。人口は2014年1月1日現在[2]。面積の単位はkm2。
県名 | 綴り | 県都 | 面積 | 人口 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
001 | TO | トリノ県 | Torino | トリノ | 6,830 | 2,297,917 |
002 | VC | ヴェルチェッリ県 | Vercelli | ヴェルチェッリ | 2,088 | 177,109 |
003 | NO | ノヴァーラ県 | Novara | ノヴァーラ | 1,339 | 371,686 |
004 | CN | クーネオ県 | Cuneo | クーネオ | 6,903 | 592,365 |
005 | AT | アスティ県 | Asti | アスティ | 1,511 | 219,988 |
006 | AL | アレッサンドリア県 | Alessandria | アレッサンドリア | 3,560 | 433,996 |
096 | BI | ビエッラ県 | Biella | ビエッラ | 914 | 182,325 |
103 | VB | ヴェルバーノ・クジオ・オッソラ県 | Verbano-Cusio-Ossola | ヴェルバーニア | 2,255 | 161,412 |
人口5万人以上のコムーネは以下の通り。人口は2014年1月1日現在[2]。
約90万人の人口を擁するトリノは、イタリア全国では第4位、イタリア北西部ではミラノに次ぐ人口を擁する大都市である。
古代にはケルト・リグリア人系の諸部族、たとえばサラッシ族 (Salassi) 、タウリニ族 (Taurini) が定住した。スーザなどは、ローマ人以前に起源を有する都市がある。
紀元前220年頃、先住の民はローマ人に征服されてその支配下に入った。ローマ人は、アウグスタ・タウリノルム(現在のトリノ)やエポレディア(現在のイヴレーア)などいくつかの植民都市を建設した。州の大部分は属州ガリア・キサルピナに属していたが、1世紀にイタリア本土に編入された。セグシウムを中心とする山間部は属州アルペス・コッティアエ(首府:セグシウム、現在のスーザ)が置かれた。
西ローマ帝国が崩壊すると、5世紀にはブルグント族やゴート族、6世紀には東ローマ帝国やランゴバルド人の侵攻を繰り返し受け、773年にはフランク人に占拠された。
9世紀から10世紀にかけての時期には、神聖ローマ帝国の一部であるイタリア王国の版図であったが、いくつもの侯国・国家に分かれていった。1046年、サヴォワ地方のシャンベリに拠点を置くサヴォイア家(サヴォイア伯国)のオッドーネは、スーザ女伯アデライデとの婚姻によりトリノ辺境伯領 (March of Turin) を手中におさめ、ピエモンテに勢力を拡大した。この時期にはほかの地域は独立した状態にあり、アスティやアレッサンドリアは有力なコムーネ(都市国家)であり、サルッツォ侯国やモンフェッラート侯国といった諸国もあった。
サヴォイア伯国は1416年に公爵(サヴォイア公)に昇った。1516年、エマヌエーレ・フィリベルトはサヴォイア公国の首都をトリノに移した。1720年、サヴォイア家はサルデーニャの王位を獲得し、サヴォイア公国はサルデーニャ王国となった。トリノは、西ヨーロッパの主要な首都の一つとなった。
フランス革命が勃発すると、この地にもその影響は及んだ。フランスの衛星国(姉妹共和国)として、アルバ共和国(1796年)、ピエモンテ共和国、スバルピーナ共和国 が建国された。1802年にはピエモンテはフランス共和国に編入された。ナポレオン没落後のウィーン会議の結果、サルデーニャ王国はピエモンテの支配を回復、さらに旧ジェノヴァ共和国領(現在のリグリア州)を併合した。
サルデーニャ王国主導によるイタリア統一運動がすすめられた結果、1861年にイタリア王国が建国された。トリノは短い間イタリア王国の首都であった(首都はフィレンツェ、ついでローマに移転する)。イタリア統一以後、ピエモンテの政治的中心としての役割は低下するが、歴史的経緯を踏まえてイタリア王国の王太子は「ピエモンテ公」の称号を名乗っていた。
ピエモンテ州に本拠を置く企業としては、自動車を筆頭に航空機・船舶・鉄道車両など輸送機械全般を製造するフィアット(本社:トリノ)をはじめ、情報通信業のオリベッティ(創業地:イヴレーア、本社:トリノ)、食品大手のフェレロ(ピーノ・トリネーゼ)、醸造業のマルティーニ・エ・ロッシ(本社:トリノ)、出版社のデアゴスティーニ(本社:ノヴァーラ)などがある。
主に運営はイタリア国鉄のトレニタリアであるが、国際列車では、フランスのフランス国鉄やスイスのスイス連邦鉄道も運営に絡んでいる。 また、トリノ近郊ではグルッポ・トリネーゼ交通(GTT)がトリノ近郊鉄道サービス(SFM)を運営している。 中心となる主な駅:トリノ・ポルタ・スーザ駅
ピエモンテ州内には、以下の世界遺産がある。
歴史的・地理的影響もあり、フランスの強い影響を受けている。
州の公用語はイタリア語である。地方言語としては、ピエモンテ語、オック語(州南西部、トリノ県とクーネオ県にまたがるオクシタン谷 (Occitan Valleys) で話される)、アルピタン語(フランコ・ブロヴァンス語。トリノ県の山間部で話される)がある。
南部ではリグリア語、東部ではエミリア語やロンバルド語も話される。北東部の一部はヴァリス語(アレマン語)を使用するアレマン人が定住している。
2006年の国立統計研究所(ISTAT)の統計によれば、6歳以上の住民の家庭内での会話における言語状況は以下の通り[4]。イタリア語(Italiano)、地方言語(Dialetto)、他の言語(Altra lingua)についてのデータで、左列が全国平均、右列がピエモンテ州の数値である。
家庭内の会話における使用言語 | 全国 | 州 |
---|---|---|
イタリア語のみ、あるいは主にイタリア語 | 45.5% | 59.3% |
地方言語のみ、あるいは主に地方言語 | 16.0% | 9.8% |
イタリア語と地方言語の双方 | 32.5% | 25.4% |
他の言語 | 5.1% | 4.9% |
特産品としてワインやトリュフがある。イタリアを代表するワインの産地であり、バローロ、バルバレスコ、アスティなどの銘柄を抱える。トリュフは、その中でも貴重な白トリュフが有名。
ブラ(クーネオ県)はスローフード運動発祥の地であり、イタリア・スローフード協会およびスローフード・インターナショナルの本部、食科学大学が置かれている。
州内に本拠を置くプロサッカークラブとしては以下がある。所属リーグは2014-15シーズン現在。
ピエモンテ州とヴァッレ・ダオスタ州の地方リーグとして、エッチェッレンツァ・ピエモンテ=ヴァッレ・ダオスタ (it:Eccellenza Piemonte-Valle d'Aosta) がある。
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