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パレスチナ解放人民戦線(パレスチナかいほうじんみんせんせん、アラビア語: الجبهة الشعبية لتحرير فلسطين 、ラテン文字転写:al-Jabha al-Shaʿbīya li-Taḥrīr Filasṭīn, アル=ジャブハ・アッ=シャアビーヤ・リ=タフリール・フィラスティーン、英語: Popular Front for the Liberation of Palestine、略称:PFLP)は、1967年に設立されたパレスチナの政党・武装組織。パレスチナ解放機構(PLO)に参加している。
パレスチナ解放人民戦線 الجبهة الشعبية لتحرير فلسطين | |
---|---|
議長 | アフマド・サアダート |
成立年月日 | 1967年 |
立法評議会 |
3 / 132 (2%) |
政治的思想・立場 |
極左 マルクス・レーニン主義 左翼ナショナリズム 反シオニズム |
公式サイト | الجبهة الشعبية لتحرير فلسطين 公式サイト الجبهة الشعبية لتحرير فلسطين |
ジョージ・ハバシュによって設立され、マルクス・レーニン主義を掲げ、パレスチナ解放を目標とする。通常、ファタハなどと比較して「過激派」と呼ばれる。エル・アル航空426便ハイジャック事件や同時ハイジャック事件が有名で、アメリカ合衆国、欧州連合、カナダ、イスラエルの各国政府は、テロ組織に指定している。
PFLPの源流は、1953年にジョージ・ハバシュが設立した「Harakat al-Qawmiyyin al-Arab(アラブ人の民族運動、Arab Nationalist Movement、ANM)」である。1967年にアフマド・ジブリールによって設立された「パレスチナ解放戦線(Palestine Liberation Front、PLF)」と統一して、PFLPとなった。
PFLPは「テロに訴えてでもパレスチナに世界の注目を集める」ことも辞さず、PLO内でもファタハ内急進派グループ(「黒い九月」など)と過激な闘争を競った。1968年には、ナーイフ・ハワトメ率いるパレスチナ解放民主戦線(DFLP)と分裂。1970年代には、欧州各地でのハイジャックなど多数の民間人を巻き込むことも辞さないテロに訴えた闘争を起こした。
1974年には日本赤軍と共同でシンガポール事件、在クウェート日本大使館占拠事件を実行。PLO執行委員会は両事件を非難し、PLO内において一時的にPFLPの資格を停止する措置を決定した[1]。
1978年からイスラエル人あるいは中産階級アラブ人を標的に対する攻撃を数多く行ない、1996年12月には入植者とその息子を殺害している。現在もPLO内の反主流派最大の勢力を維持している。1993年のオスロ合意には反対しPLOを離脱した(1996年復帰)[要検証]。
PFLPの2000年の第6回国内会議でハバシュは書記長を辞任し、後継としてアブー・アリー・ムスタファーが議長に就任する。しかし、2001年8月にはイスラエル国防軍はムスタファー議長をミサイル攻撃で暗殺し、PFLPは報復として2001年11月17日にイスラエルの極右政治家で観光旅行大臣レハバム・ゼエビを射殺する。ムスタファーの後を継いだアフマド・サアダート議長は2001年10月の観光相暗殺テロの容疑により獄中にいた。しかし、2006年3月、イスラエルがパレスチナ自治区内にある刑務所に侵攻し釈放直前のサアダートを拘束した。
活動地域はイスラエル国内、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、レバノン等におよび、現在PFLPは、パレスチナ自治政府の野党で2006年1月の総選挙でも議席を獲得している。ハマースなどのイスラーム主義=コーランのドグマ化による「イスラーム国家化」に反対して、パレスチナ社会の世俗的なライフスタイルを支持している。現在のPFLPの主な支持基盤は、イスラーム主義者の「神権政治」に脅かされているパレスチナ内のキリスト教徒コミュニティおよび世俗志向志向の労働者・大学生などであるが、当然ムスリムのメンバーも存在する。現在、千人単位の活動家が、イスラエルの刑務所に囚われているものと思われる。
マフムード・アッバース率いるパレスチナ自治政府とイスラエルによって行われている二国家共存に向けた交渉には断固反対の立場を取る[2]。そのため、PLO内では最も強硬派とされている。
現在、PFLPの軍事部門は元最高指導者の名をとって、「アブー・アリー・ムスタファー旅団」という名になっている。
公式サイトはアラビア語だけでなく英語版もつくられている。さらに、アフマド・サアダート議長釈放運動を専門に扱う英語サイトも開設している。そこでは、PayPalを通じた運動への寄付や、メーリングリストによってサアダート釈放運動への参加ができるようになっている[3]。このことからもわかるように、PFLPの支持者は21世紀を迎えた今も世界中に存在しており、PFLP支持のデモが世界各国でよく行われている[4]。
PFLPの公式YouTubeチャンネルに度々動画をアップロードしており、広報活動にも積極的である。
2007年にヨルダン川西岸地区で発足したパレスチナ国の内閣に、元PFLPメンバー[5]のリヤド・アル=マリキが入閣。パレスチナ国外務大臣を務める[6]。2014年にファタハとガザ地区を実効支配するハマースの統一政府が発足し、新しい内閣ができた際も、引き続き外務大臣に留任した。その後もパレスチナ自治政府の外務大臣を務め続けたが、2024年4月頃に交代した[7][8]。
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