ギャリソンキャップ
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ギャリソン・キャップ(Garrison cap)は、帽子の一種である。ギャリソンとは駐屯地の意。サイド・キャップ(Side cap)、舟形帽などとも呼ぶ。
ギャリソン・キャップの起源には諸説ある。一つは、スコットランドのグレンガリー帽(glengarry cap)から派生したものであるとする説、もう一つは、1800年ごろからイギリスとフランス陸軍のユサールが略帽として被っていた「ボネ・ド・ポリス」(Bonnet de police)と呼ばれるフェズ帽ないしナイトキャップのような帽子から派生したとする説[1]、そしてオーストリア・ハンガリー帝国の騎兵が被っていた略帽から派生したとする説である。
このいずれか、もしくは相互の要素を受け継ぐ形で19世紀末に英国陸軍に「トリン・キャップ」と呼ばれる帽子が導入された[1]。これが現在のギャリソン・キャップの始まりである。
正面から見ると二等辺三角形ないし山形、上下からは紡錘形に見える独特の形をしている。折り畳んでベルトや肩章などに挟めるため携帯しやすく、第一次世界大戦以降、軍隊等の制帽の一つとして用いられている。この場合、用途により「野戦帽」「戦闘帽」などの呼称も用いられる。パイピングの色で階級や兵科を示す場合もある。
ギャリソンキャップはその使いやすさから全世界に広まり、それぞれの風土に合わせ、また現地の民族帽と結びつくなどして多種多様な変化がなされた。
オーストリアでは、普墺戦争敗北後の1868年に制定された服務規程(Adjustierungsvorschrift)によって騎兵部隊に赤色の略帽を採用した[要出典]。共通兵科の山岳帽と似てボタン止めの耳当てが付いていたが、庇は革ではなく本体と同素材の布で出来ており折り畳み・展開が可能であった。その後1915年になると歩兵部隊での人気が高まり、陸軍用のフェルトグラウ色略帽も導入された。これは後継国であるハンガリー王国軍の制帽のデザインに大きな影響を与えた。
イギリスでは、オーストリア・ハンガリー帝国の山岳帽のように耳当てとなる部分を正面のボタンで止めるスタイルへと変わった。いつ頃そうなったのかは不明だが、第二次ボーア戦争中にヨーマン帝国義勇騎兵連隊がプリンス・オブ・ウェールズの羽根をあしらったボタンを付けている姿が確認できる[1]。
一方、ロシアでも第1次世界大戦前の1913年に航空兵向けに採用されたもの[2]を1941年にソ連が復活させた。「ピロートカ」の名はパイロットに由来する。耳当ての中央に赤い星をあしらったシンプルなデザインである。こちらは大祖国戦争の間に歩兵向けに導入され、戦後は東側諸国の間に広まったが、装飾を好んだ中東欧諸国とは対照的に共産主義的観点から大きな差はない。
アメリカでは、第一次世界大戦時のアメリカ外征軍にてオーバーシーズ・キャップ(Overseas cap, 海外帽)としてヨーロッパ製のギャリソンキャップが採用されたのが始まりとされる。1941年にはギャリソンキャップとして制式化され、官帽型のサービス・キャップに代わって制帽として支給されるようになった[3]。その後、海軍・空軍・海兵隊の略帽に採用された。そのため、アメリカ式装備の軍隊ではとりわけ空軍にギャリソンキャップを採用している国が多い。
日本では、昭和初期に略帽として導入が検討されていたが最終的に戦闘帽が導入された。現在は航空自衛隊が略帽として採用している。色はジャケットと同じ濃紺で、曹士と幹部でパイピングの色が異なる。
その他、ボーイスカウト団員などが被ることもある。アメリカでは退役軍人の制帽として知られる(公的行事では最後に所属した部隊・軍艦のネーム入りのものを被る。名誉勲章受章者はこれに加えて同章を胸に着ける)。
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